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●平成27(2015)年10-11月 サイパン遺骨収容調査 スタッフ日記

平成27年10月25日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記①

現場実働隊の第一陣がサイパンに到着しました。
約10年間の空援隊調査活動の中で、最高齢の参加者となる83歳の方と、米国NPO法人KUENTAI-USA会員の大学生と一緒にバンザイクリフを訪れました。


バンザイクリフ

昭和19年のサイパン戦で、軍人だけでなく女性や子供を含む5万1000人以上の日本人が亡くなりました。降伏が認められる状況ではない当時、米軍に追い詰められた多くの方々が身を投げたのがこのバンザイクリフと、その上にあるスーサイドクリフです。
美しい青色がどこまでも広がる海を前にして、70年以上前に起きたことを思うと、その美しさや静かな波音をそのまま素直に受け入れられなくなります。ある会員さんで、テニアン島(サイパンの目の前にある島)でお兄さんを亡くされた方が、以前にサイパンを訪れました。その際にこの場所に行くお誘いをしました。返事は

「行きません、ごめんなさい」でした。

 

この島での日本人戦没者5万1000人のうち、2万8000人の方が未だ収容されていません。そして、行方不明兵士全員の帰還をスローガンとして唱える米国も同様です。今回民間団体である日米の空援隊=KUENTAIが、国のために戦い、亡くなった方々をそれぞれの国にお迎えするために、合同で調査をします。そして遺骨が見つかれば、サイパンでは初めて民間だけで収容を致します。
このサイパンでの活動を、スタッフの個人的な思いも交えつつお知らせしていきます。


日が昇り、沈む。
日々この繰り返し、この景色を見ていつの時代に、誰が、どんな思いで、何を思ってきたのか。


平成27年10月26日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記②

今日は地元の役所に行って事前に申請を出していた許可の確認をすること、関係者や考古学者と打合せが主な活動でした。
戦没者の遺骨調査は、遺骨を拾いに行くだけでなく、それが実際にできるまでには、事前の段階で様々な手続きや交渉が必要になります。しかもよその国。それぞれの国によって制度や事情が異なるため、一番初めに行った場所では、何も全く知らないゼロの段階から、一から調べて、必要な許可をとって、そしてその国の文化や習慣等にも配慮したうえでなければ、調査ができません。
今日は、今回の発掘調査に必要な申請を出していた役所「BECQ」(環境・海岸保全のための役所)と「HPO」(歴史保存局)に行き、許可を得ました。サイパンでは、調査をする場所ごとに申請が必要ですが、今回許可が下りたうちの一つは、申請から2年がたっていました。
通常のサイパンでの調査の際には、参加者に発掘調査の場に来て頂くことがほとんどですが、今回は、事前調整の場も見て頂きました。相手の話を聞くこと、協力関係を維持していくこと、地元の関係者と友好関係を築いて様々な情報を得ること、相手から求められる条件に対して、できることについては相手に合わせること、けれども絶対に譲れないことについては、しっかりと主張すること。
これら全ては、戦没者を日本にお迎えするために、良い方法を考えて、選んでしていることです。こちらが良いと思っていることでも、立場が変われば中には受け入れ難いと思う人もいるので、そこは戦没者を還すためだけを考え、粘り強く対応して良い方法を選択します。今日はその一端を見て頂くことができました。
会員さんからは、「現場調査だけだと思って来ましたが、調査ができるまでには色々な段階があって、順調にはいかないのですね・・・。民間団体がこんなことまでするのかと思うことや、今日は(スタッフの)笑顔が出ないような厳しいことがだいぶあって心配しました・・・」という感想が聞かれました。
明日からは、笑顔が出るような調査になることを私達も期待しています。


サイパンHPO(歴史保存局) ここからも必要な許可が出ることになりました


平成27年10月27日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記③

今日は現地関係機関からの許可が正式に下りて、午後からようやく発掘調査ができることになりました。いくつかの遺骨が見つかり、集団埋葬地の可能性があります。詳しい調査は明日することになりました。本来は昨日から発掘開始の予定が1日半遅れ、一時は更なる遅れも予想されていましたが、ようやく今回の調査が始まりました(遅れた原因は現地関係機関が突然昨日、許可のための条件を提示してくる等、対応に追われたため)。


調査地の土が海に流れ込まないようにシートを貼る作業。
83歳の方と、22歳の大学生が金槌を使って一緒に作業していました。

よく聞かれることですが、調査場所はどうやって決めるのかということについて、今回は少し書いてみたいと思います。
国によって遺骨の所在情報を得る方法は異なりますが、サイパンでは地元の人達の情報や、米国立公文書館等から取得した米軍資料の分析をもとに決めます。今回の場所も、昭和19年に日米で激しい戦いのあった場所で、米軍資料によれば日本兵の遺体を集団で埋葬したという記述があった場所です。ただ得られる情報はおおよその場所なので、現場のどこに遺骨が埋まっているのかを具体的に探し出さなければなりません。それには実際に掘ってみなければ分かりません。


ここのどこに遺骨が埋まっているのか、場所を特定するには広すぎて宝探しをするような感覚に。
金属探知機のように遺骨を探す機械があったらどんなに良いものかと思いますが・・・

ただ全面を掘るには時間がかかりすぎてしまうため、数メートルおきに土を掘って、どの場所にあるのか、目を凝らして遺骨を探します。サイパンの土は固くて、人の力では土を掘り返すことができないため、ショベルカーを使いますが、遺骨を傷つけないように、「爪」のない平たいシャベルで少しずつ土をかきます。


予測をつけた場所から土を掘っていく。土の変化や遺留品等にも注意を払って探していく

この「試掘」で今日は遺骨が幾つか見つかり、集団埋葬地の可能性があると分かりました。そうすると次の段階に進みます。遺骨が多く見つかりそうな場所を重点的に掘って調べるのです。これを明日行います。やっていこることは土木工事さながらですが、遺骨が見つかれば、人がシャベル等を使って遺骨を掘り出します。
地元でも私達の作業を知る人が多くなり、遺骨場所の情報が寄せられます。「庭から遺骨が見つかったから、うちも早く調査に来て」「日本兵の遺留品と遺骨が見つかった。お化けが出て悩まされているよ」「工事をしていたら見つかった。この前教えた場所とは違う所だよ。日本は何で遺骨を取りに来ないの?」等々枚挙に暇がありません。今まで見つかった遺骨で、一番浅い所に埋まっていたのは地表から17センチの場所でした。このような情報を聞くと戦争なんてとっくの昔の話で自分達に関係ない・・・とは思えなくなります。戦没者を祖国に還すのは当たり前のこと、明日からもそのために活動します。

平成27年10月28日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記④

今日は一人参加者が増えて、昨日見つかった遺骨を一緒に掘り出しました。3体ほど(推定)の遺骨と、日本軍のヘルメットや戦前から終戦直後まで使われていた日本の会社のビールビン等が見つかりましたが、考古学者によれば、日本人かどうかは調べてみないと分からないとのこと。色々なものが混じっている場所で、現場では特定できないそうです。


   日本軍のヘルメット      「ルービンリキ」書かれた瓶

サイパンで発掘調査をするには、考古学者が必要です。今回新しく考古学者を雇用しましたが、遺骨収容というより、遺跡等の発掘調査をするように慎重に進めるため、収容にも時間がかかり、戸惑う場面もありました。サイパンでは4年以上前から調査をしていますが、考古学者によって調査に対する考え方が違いました。
これまで調査をしてきて思うことは、時間がたてばたつほど、遺骨を還すことが難しくなるということです。情報が枯渇したり、遺骨の風化という問題だけでなく、例えばサイパンであれば、環境汚染等が問題となり、海や動植物の保護のための新しい法律ができて、それを順守するための対応が厳しく求められ、昔だったら必要のなかったような手続きがいくつも増えています。遺骨収容に関わる考古学者達に求められるものも同様なのかもしれません。
そこの規則に従わなければいけないことは分かるのですが、本来遺骨収容にとって必要なものなのか、時間がたってしまったことで、遺骨が還るのに難しい状況になりつつあるのではないのか。この法律ができる前だったら、やらなくてもいいことだったのに・・・と思うことも。その規則を守るために、費用がかかることも多々あります。現実はそれを言っていても仕方がないので、それにどのように対応するかを考えながら進めますが、これ以上遅くなってまた難しい状況が増えないようにするためにも、収容を急ぐ必要があります。


重機で探し出した遺骨を参加者が掘り出していく。
ちなみに炎天下での長時間の調査のため、暑くても長袖長ズボンを勧めています。
今日は長ズボンをはかず日焼けで火傷のようになった参加者も・・・

平成27年10月29日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記⑤

日本人の可能性が高い遺骨が2体見つかりました。見つかった歯には金歯やブリッジがあり、戦前にこのような治療ができる技術を持っていたのは日本人だと考古学者は言っていました。遺骨は破片になっていて、一見遺骨だと分からないものも多くありました。


      金歯              ブリッジがかぶさっている

出てきた歯を考古学者があごにはめて確認
皆で手分けしての作業 強い日差しが降り注ぎますが、それぞれの思いが体を突き動かすようです


平成27年10月30日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記⑥

これまでのサイパンでの調査では、民間団体では遺骨が収容ができませんでした。そのため遺骨を見つけたらその情報を厚労省に提供して派遣団を組んでもらい、収容に来てもらっていました。どこに遺骨があるのか実際に掘って探す作業を「試掘」と呼んでいますが、戦没者を探すこのような作業を国はやりません。現在国が実施している遺骨収容とは、情報をもらったら遺骨を取りに行くというものです。
海外で調査活動をするには、これまでこの日記でも書いてきましたように、現地の人からの信頼を得るために現地に何度も足を運び情報を得て、協力して頂き、また作業に関係する法律や規則等を調べて、それに従うための人や場所探し、必要なものをそろえたり、時には各国の国や役所と交渉をして、協定を結んだりしながら、全ての許可を取得したうえで、調査を実施しています。そして今は米国立公文書館等の資料の分析もして情報を得ます。
実際に活動をするためのこのような事前調整も含めた「情報調査」を民間団体が全てします。ちなみにその費用も民間団体が全て負担しています。しかし情報提供をしてもなかなか国は遺骨を収容しに来ません(※1)。去年サイパンで遺骨を見つけた際にもその場で国に連絡しましたが、国は自分達が決めた期日までに収容に行きませんでした(※2)
そこで今回は、調査だけでなく収容もできるように、必要なものを自分達で用意して、許可を得ました。これが民間団体がサイパンで収容を行う初の調査です。そしてそれを日米のNPO団体空援隊とKUNENTAI-USAの合同で実施しています。
(※1)グアムでは厚労省の職員の目の前で遺骨が見つかっていながら、それを埋め戻し、3年間以上収容に行かず、毎日多くの車が通る生活道路の下に今も戦没者が埋められたまま。このような例は多すぎて書ききれません・・・。
(※2)その約1年後の今年8月、情報提供をした空援隊や土地所有者に何の連絡もなく、厚労省は遺骨を収容して現地関係者に預けて帰って行った。


遺骨が見えるように土をかき分けて地表にさらす作業(エクスポーズ)をしている時は
参加者皆集中していて、声をかけられても気づかない・・・

今日は歯を含めて4体の遺骨を見つけ、考古学者の確認の後、参加者が全て引き上げました。その近くからも別の一体が出てきているようで、明日も更に周辺を調べていきます。去年は「この遺骨をいつ引き上げるのですか?」と聞かれて、その度に「分かりません」としか言えませんでした。1年かけて粘り強く米国政府や現地関係機関等と協議を重ね、関係者に協力を呼びかけ、そしてようやく許可を得て、今年は参加者の手で遺骨を拾い上げて頂けるということで、「それだけでも気持ちが楽」という現場指揮官の言葉は、一度陽の下に出てきた方々を再び目の前で埋め戻さないという思いの表れであるかのようであります。

 
ヘルメットの中の遺骨や歯         協力しながら土をかき分ける

今回、新たな考古学者を雇ったことで、彼らのやり方とこちらの思いとがかみ合わず時間がかかっています。それでも、現在やっている場所以外の許可も得られたので、できるだけ多くの遺骨を見つけて収容をしたいと思います。短期間でも毎回現地に足を運んでくれる参加者や、日本で様々なかたちで応援して頂く多くの方々に支えられて今回も調査が実施できています。明日以降も作業は続きます。

平成27年10月31日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記⑦

日本人と思われる遺骨数体と、ブーツを履いた足が見つかりました。日本兵は足袋を履いていたので、米兵の可能性もありますが、日本兵の中には米兵のブーツを履いた人もいるため、これだけでは米兵だとはまだ確定できません。(※作業初日の10月27日に見つかった遺骨は現地チャモロ人の古代の遺骨だと鑑定されました)
とこのように書くと作業が進んだように思われるかもしれませんが、今日は「待つ」日でした。
今回の考古学者は遺骨が見つかると、まずは自分だけで確認するため、それが終わるまでは参加者はひたすら待ちます。考古学者がショベルカーの傍につくために、遺骨を確認している間は、それもストップ。遺骨があちらこちらと出てくるのに、とにかく待つのみ。けれどもまだ別の2箇所の調査も残っていてそれをあと1週間でしなければいけません。私達は少しでも時間を有効に使おうと、午後からすぐに次の調査地の草刈りを始めておきたかったものの、考古学者の作業はマイペースのまま。草刈りにはショベルカーが必要で、考古学者の立会いがないと動かせません。ショベルカー等の重機を借りる費用は高額で少しの間でも止めておくのはもったいないのですが、これ以上は、というところまで待って2時間近く遅れての開始となりました。


ひたすら待つ日。重機の動く音しか聞こえず静かでのどかな風景が余計に心を苛立たせる・・・
 
マイペースな考古学者。彼に時間がなくなることを伝えながらもじっと待つ現場指揮官・・・

次の調査地での草刈り。この背丈の草が延々広がっており、これを刈らないと作業ができない。

私達は会員さんや支援者からの大切な費用で調査をさせて頂いており一時も無駄にできません。考古学者の作業と、それに苛立ちを感じるスタッフの様子を見兼ねて 「なんともじれったいね」

と83歳の会員さんが仰いました。そして

「それでも急がば回れなんですね」とも。

そうなんですね・・・、目の前のことだけが進めば良いのではなく、戦没者が日本に帰るためにはどうすれば良いのか、そのためには待つことも必要。効率を重視してほしいこちらの思いだけを懸命に伝えてもうまくいかない場合もあるので、今のところは考古者の都合をまだ、重視しています。
戦没者を日本に迎えるという目的を果たすために、待つ時は待つ。参加者の方には大事な時間を無駄にさせてしまって非常に申し訳なかったのですが、調査というのが順調に進むわけではなく、より良い方法をとるためには待つことを含めて、現場でも色々な交渉を重ねる必要があることをご覧頂く日となりました。少しでも作業を手伝って下さる会員さんや、戦没者を帰したいとうこちらの思いを理解して遺骨を探してくれる重機のオペレーター、また現地支部長の支え、この場所での作業を快く受け入れて下さる住民の方、そして日本からのご支援ご声援によって活動ができています。どうもありがとうございます。


参加者と重機の運転手が一緒に作業
彼(運転手)はこれまで何度も調査に参加し、操縦席からいち早く遺骨を見つけてくれている


空援隊サイパン支部長(手前)。遺骨を見つけ出し綺麗に遺骨を掘り出す。
考古学者(奥)よりも作業が丁寧で、一緒に作業中

平成27年11月1日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記⑧

現在サイパンは雨季ですが、活動中は全く雨が降っていません。そして今日は特に日差しの強い暑い一日で、外にいるだけでも体力が消耗されていくような気がしました。


肌を突き刺すような炎天下での作業。水分をこまめにとっても足りなくなる

そんな中今日は2班に分かれての作業。1つの班は昨日考古学者が確認した遺骨を収容し、その下や周辺に遺骨がないかを掘ってみました。すると3体の遺骨が見つかり、今日までにここで見つかった遺骨の状況をから、規模はそれほど大きくないものの集団埋葬地であることが分かりました。これまで私達が見てきた集団埋葬地とは違って、ヘルメットは出て来たものの、弾薬や水筒、砲弾等の遺留品が非常に少ない埋葬地です。もう一つの班は次の発掘調査地に移動し、土壌が海に流れ込まないようにするためのフェンスを張りに行きました。今発掘している場所とは違って粘土質の土壌で非常に固く、杭となる木の棒を打ちつけるのも一苦労。しかも炎天下、1つの杭を打つだけで体力が失われていきました。こういう作業も自前で行います。その間にブルドーザーやショベルカーで草刈りをして、発掘作業を開始しました。以前に米兵が見つかった周辺で遺骨が見つかっています。
昨日は「待つ」日でしたが、今日は少しずつではありますが作業が進みました。作業手順も少しずつ変わりました。最初に遺骨を見つけた際には考古学者が遺骨を地表に曝す作業(エクスポーズ)をして他の人には作業をさせませんでした。けれども日本の参加者が、シャベルだけでなく刷毛や、時には櫛などを持参して、(考古学者達よりも)丁寧ににエクスポーズをし、また丁寧に遺骨を扱う手つきを見てなのか、少しずつ作業を任せてもらえるようになりました。


先を細く研いだ箸を使ってエクスポーズをするサイパン支部長
何度も調査をしていると使いやすい道具や種類が分かってくる

今日は日本からの援軍が増え、明日も援軍が到着するので非常に心強いです。また、地元協力者の息子さんも手伝ってくれました。多くの人の協力のもと調査活動ができています。どうもありがとうございます。

 
地元協力者の息子さん(高校生)が手際良く手伝ってくれて大きな戦力となってくれました。また調査をさせてもらっている家の娘さんも進んで道具を運んでくれます

作業を見守ってくれている?


平成27年11月2日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記⑨

夕方、援軍が到着しました。JYMA日本青年遺骨収集団の学生4名が、空港からそのまま現場に。明日から本格的に活動に加わってくれます。調査から1週間経ち、疲れが出てくる頃なので彼らの到着は心強く感じました。


援軍のある有り難さ。戦時中はサイパンだけでなくどの場所でも自力で戦っていたことを思うと・・・

午前中は今日も2班に分かれて作業しました。1班は1週間ほど調査してきた場所で集団埋葬地を更に下に掘り下げて遺骨がないかを確認。これ以上はもうないことを確認したうえで今回はこの場所を終了しました。まだ掘っていない箇所があるので、別の機会にこの場所を調査をすることになりました。そしてもう一班は次の調査地で一体の遺骨を発見。拾円紙幣が貼りついた財布等日本人だと特定できる遺留品が数多く見つかり、考古学者が日本人だと判断しました。午後はこの場所に全員集合、開始間もなく地表から20センチ程の場所から遺骨を発見しました(まだ日本人だとは特定されていません)。


拾円紙幣が貼りついた財布

この2か所目の調査地はこれまで何度も調査してきた場所で、ここで集団埋葬地2か所と米兵5体が見つかっています。今回がこの場所での最終調査となります。というのはここが売りに出されているからです。今までの掘り残し場所を掘って遺骨の有無を確認するのがここでの調査目的です。
遺骨収容では遺骨を見つけることはもちろんのこと、それと同時にその場所で他に遺骨がないかを確認することも実は重要な作業です。それを確認しないと調査がいつまでたっても終わりません。この場所は今まで何度も建設計画がありましたが、それを延期してもらって調査を続けてきました。けれどもそれも今回が最後、2度と調査ができなくなります。戦没者が埋められている可能性を残したまま建物が建つことのないよう、何としても調査を終わらせたいと思っています。
けれども米国人の考古学者が自分達のやり方を主張して、なかなか作業が進みません。彼らを雇っているのはこちら側なのですが、そうではない素振りが色々と・・・。一進一退の活動が続きますが戦没者の側に立って活動することに変わりはありません。ご心配をお掛けすることもあるかもしれませんが、少しでも早く一人でも多くの方を日本にお迎えするため、より良い方法を選んで明日以降も活動していきますので見守って頂ければと思います。

 

考古学者のマイペースな作業が続く・・・。国のため命を賭して戦った人達に対して国が責任を持つのは当たり前。それを国がやらないなら、彼らの思いに応えるだけのことを国に代わってでもしなければ。時には戦うことも戦略上必要な場合も。

平成27年11月3日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記⑩

作業開始から1週間、現場では雨季とは思えないほど晴れの日が続いていましたが、今日は朝から突然の大雨。長くは降り続きませんが、その後も何度も雨雲が通り過ぎ、その度にテント下に大急ぎで避難しました。2か所目の調査地は粘土質の土壌で、しかも固い草がなぎ倒されています。雨が降る度に地面はぬかるみ、草に足はとられて非常に歩きづらくなっています。


雨が降ってきたかと思うと瞬く間に土砂降り。雨の後小さな池ができている場所も。

そんな中、JYMA日本青年遺骨収集団の皆さんが昨日見つかった遺骨を地表に曝す作業(エクスポーズ)や、掘った土に遺骨が混じっていないかを探す作業(スクリーニング)をしてくれました。地面が非常に固く、エクスポーズもスクリーニングもかなり大変で、ほぼ1日作業。雨が降った後の地面に座り込み、泥だらけになるのも気にせず最後まで真剣に作業に取り組む学生たちに、米国人の女性考古学者も非常に関心していました。



 
地面に顔を近づけて作業する学生。掘り掘り隊長のサイパン支部長からも「作業が丁寧!」との賛辞が。
ふるいを使ってのスクリーニングは、土が団子のように固まり、確認に時間がかかり大変な作業。

一方、作業のやり方等をめぐる空援隊と考古学者の一進一退のやりとりは静かに続いています。戦没者を日本にいち早くお迎えするために、目先のことではなく、遠くを見据えて活動しています。参加者を始め、日本からのご声援ご支援に支えられて私達は活動できていますので、明日以降ももやるべきことをやって結果を出せるようにして参ります。皆様のお支えに感謝しております。

★今日のスナップ

 
私達のプロジェクトは、参加者、重機の操縦士、考古学者等皆1つのチームなのですが・・・(左)
出てきた砲弾等を引き取るのは警察の役目(右)

いつもは休むことなく隅々まで現場を歩き回っている現場指揮官ですが
今日は敢えて現場に背を向けて司令本部(テント)で全体を把握


バンザイクリフを望む

平成27年11月4日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記⑪

今日は2か所目の調査地を終えて、夕方から3か所目の調査地に移りましたが、いずれの場所でも遺骨は見つかりませんでした。この広い場所のどこかに遺骨があるという情報はあるものの、どこを掘って探せば見つかるのか、何メートル下まで掘るのか、そこで見つからなかったら次は何メートル間隔で溝(トレンチ)を掘っていくのか、溝を掘る方向は合っているのか、それを限られた時間の中で、しかもショベルカーは一台しかないという条件の中遺骨を探すにはどうすれば良いのか、現場での作業全てを参加者に見てもらっています。

 
3か所目に移動(左) 同じ溝(トレンチ)でも変化のある場所等は特に注意してチェックする(右)

参加者でトレンチのチェック中

今回参加しているJYMA日本青年遺骨収集団の4人の学生は、私達と一緒にサイパンで作業するのは初めてですが、これまで国内外の様々な場所で遺骨調査や収容に参加してきています。その彼らから質問されたのは「サイパンでは考古学調査が必要なんですか?」ということでした。他の場所では、考古学者が立ち会ったことも調査をしたこともなかったそうです。その質問の答えは、「考古学調査」は必要ありませんが、発掘には「考古学者の立ち会い」が必要です、ということです。
サイパンでは米国の法律が適用され、「アース・ムービング(earth moving)」という発掘を含めた土を動かす作業には考古学者の立ち会いが必要です。私達の遺骨調査も土を掘るのでその法律の対象となります。ただしあくまで私達は遺骨があるかどうかを確認するためだけに土を掘っています。それなので、考古学的調査は必要としていません。トレンチの情報についてどこを掘ったのか、深さと長さはどれくらいだったのか等最低限度のことが分かればそれで良いのです。しかし今回の考古学者は、掘ったトレンチや遺骨発掘作業について「考古学的調査」のマニュアルや決まりを持ち込みます。そのため遺骨調査では必要のない計測作業等に時間がかかっていて、せっかく借りているショベルカーを動かせない場合もあります。考古学者の作業が遺骨調査に何のために必要なのか、学生にも不可解に映ったようでした。
現場に来るとどこに遺骨があるのかを探す難しさがすぐに分かり、毎回参加者からもそのような声が聞かれます。日数も費用も限られた中で成果を出す必要があり、その中で最大限の効率を上げるためには机上の計画や、マニュアルが通じないことは誰もがすぐに理解できるのですが、今回の考古学者はあくまでも自分達が正しいと思うやり方をしたいようで・・・。
このような状況ではありますが、やるべきことをやって、まだまだこの地に取り残されている多くの方を少しでも早く日本にお迎えするため、机上の計画やマニュアルではなく、現場に対応したより良い方法を選んで活動します。空援隊、KUNETAI-USA、JYMA、作業員、協力者、日本や米国から私達を応援してくれる方々等が1つのチームとなり、一歩でも前に進めていきたいと思います。明日からも宜しくお願いします。

★今日のスナップ


現場指揮官(右)、現場復帰。
ショベルカーへの指示は自分達の役目だと一時考古学者(左)が主張したものの、操縦士が信頼するのは経験も知識もあり、実績を出してきた現場指揮官。いつの間にか元通り現場指揮官(右)の役目に。

平成27年11月5日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記⑫

今回の活動は、遺骨がどこにあるのかを探す「調査」だけでなく、その遺骨を「収容」すると、このスタッフ日記でお知らせしてきました。そのために1年以上かけて、現地に何度も足を運んで事前調整を重ね、準備をし、会員さんや支援者から寄付等を募り費用を集め、多くの方々のご協力のもとなんとか実現した活動です。去年は遺骨が見つかっても、収容に必要な人類学者を雇えず、泣く泣く埋め戻したという経緯があり、収容が今回の活動の大きな目的のひとつでもあります。昨日の日記でも書きましたが、サイパンでは米国の法律が適用され、遺骨を収容するには人類学者が必要です。
今日、3か所目の現場から日本兵と思われる遺骨と米兵と思われる遺骨が数体見つかりました。しかし、考古学者の作業の都合上、時間がないとの理由で、今日ここで見つかった遺骨は収容せず、場所だけを特定して、明日以降埋め戻すことになりました。考古学者の指示で、遺骨や遺留品を参加者が地表に曝し(エクスポーズ)、目視できるようにしました。けれども収容はしないので、それを土から掘り上げることは禁止。考古学者は日本兵か米兵かの鑑定もしません。


遺骨や遺骨につながる手掛かりがないか、ショベルカーの掘った溝(トレンチ)を確認する参加者
 
ようやく遺骨が見つかり、重機がすくった中に遺骨が入っていないかを土をかき分けて探す(左)
エクスポーズ作業(右)

  見つかった遺骨(奥)とヘルメット

遺骨の収容に人類学者が必要なのは米国の法律が適用されるためで、他の国では見つかったら日本大使館や遺骨保管所等に持って行ったり、遺骨を動かすことができます。あとは日本に持ち帰るために、厚労省が引き取りに来るのを待つのみ。遺骨を動かせるなら、ひとまず遺骨の紛失や風化を防ぐことができますが、埋め戻してしまうとそれを止めることができません。私達はいつ次に調査に来られるか分かりません。人類学者の雇用費用やショベルカーのレンタカー代は非常に高額です。また次に来るまでにもし、この土地に建物が建ってしまったら・・・?
そうしないために土地管理者にお話しをしてお願いをして、それで了解を得るためにはそれ以前から信頼関係を築いておく必要があり、これからも現地に足を運んで・・・という活動が必要になります。
大変ありがたいことに今回の土地管理者は私達の活動に理解を示して下さっていますが、他国において日本人の私達のこの思いを理解して下さる人ばかりではないこと思うと、このスタッフ日記でも書いてきましたが、遺骨を日本に返すために、時間がたてばたつほど遺骨が帰りにくい状況が出てきます。何より、私達の手で土を取りはらいお日様のもとにようやく出てこられた遺骨を再び埋葬することは・・・。
一人でも多くの皆様に活動を見守って頂きたいと思います。その思いが戦没者を日本にお迎えすることにつながると信じ、参加者一丸となって明日以降もまだ活動を続けます。
★今日のスナップ

 
戦没者を見守る目、遺骨の一片でも拾おうとする手

エクスポーズが終わった時点で作業終了。雨をよけるためにビニールシートをかける。
ちなみに遺骨が出てきた際に丁寧にエクスポーズするよう事細かに指示する考古学者は
布を被せただけで現場を後に。現在雨季です。

平成27年11月6日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記⑬

今日は、考古学者の現場作業が終了となり、午後は近くの洞窟調査に行きました。ここは5年程前、空援隊がサイパン調査を始めた当初に地元の人からの情報で行った場所で数体のご遺骨があります。遺骨情報は地元担当役所のHPO(歴史保存局)や厚労省に報告していますが、それから数年、放ったらかしです。JYMA日本青年遺骨収集団の学生が中に入って遺骨を確認してくれました。子どもと思われるものもあったそうです。また洞窟周辺では、台風等で上から流れ落ちてきた遺骨もありました。多くの遺骨がまだまだこの地に放置されています。


幹線道路から10メートル程の場所にある洞窟

83歳の方参加者も来ることができるような場所にある
 
  入口はかなり狭い          洞窟そばで見つかった遺骨
遺骨を抱えるこの学生(右)は仲間が洞窟で遺骨を調べている間、周辺で遺骨を探し続けていた

午前中の現場作業では、昨晩の雨で土がかなりぬかるみ、非常に腕の良いベテランのショベルカー操縦士が、かなり慎重に運転していました。昨日見つかった遺骨周辺を採掘したところ、深さ30センチ程の所から再びご遺骨が見つかり、状況や場所から判断して集団埋葬地であることが分かりました。しかし昨日も書きましたように、ここでの遺骨は今回は収容できません。もしかしたら100体を数える方々が残されている可能性があるにも関わらず、今回は現場を後にしなければなりません。毎日車で通っている道路の脇のすぐそばに戦没者が埋まっているのに、考古学者の都合で収容できない。発見場所を計測しただけで彼らの現場での仕事は終了。「グッバイ」で彼らは現場を後にしました。
戦没者への思いが感じられない様子や、そして自分達の仕事は済んだとばかりの対応を見てきたJYMA日本青年遺骨収集団の学生の一人から、ビジネスとしか考えていないから仕方ないのかなと言う声が聞かれました。そのように考えて何とか理解しようとしていたようですが、続いて出てきた言葉が
         「それは分かるけど、でも、分からないですね・・・」

現場にいる参加者だけでなく、日本で活動を見守り支援して下さる方々、ご遺族、そして何より亡くなられた方々、皆さん多くの思いがあることと思います。今現場にいる私達は収容できない戦没者を目の前にしていますが、これがサイパンの他の地でもまだまだ数多くあり(現場にいると、次から次にご遺骨の情報が寄せられます)、そしてこれはサイパンだけでなく、他の国、そして日本国内でも同じ状況です。海外戦没者240万人のうち、半数近くの113万人が未収容、そして米国でも太平洋戦争での遺骨収容は、数年前に始まったばかり。「誰のせいにしていてもはじまらない」という言葉は、遺骨を目の前にして、法律や規制、様々な妨害等のために、亡くなった方々を背にして帰らなければならなかった経験を嫌というほど味わざるを得なかった現場指揮官の言葉です。これまで何度も聞いたこの言葉を、今回の現場でも聞きました。これからも、どのような状況であっても、戦没者を祖国にお迎えするために何ができるかを考えていきます。JYMA日本青年遺骨収集団の学生や今回の参加者に、今ここにいる間に、戦没者の帰還のためにできること全てを見て頂こうと思っています。

★今日のスナップ


かなりぬかるんだ現場。このような状況ではショベルカーを使っての作業はほとんどできない
 
集団埋葬地を計測。次に収容作業に来た時に、遺骨の場所が分かるように。




平成27年11月7日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記⑭


毎回私達の活動に参加してくれるショベルカーの操縦士(アリエールさん)

 「また次も」
と言って、ショベルカーの操縦士が現場を後にしました。約12日間、私達のチームの一員として、一緒に作業をしてくれた彼の仕事は今日で終わりです。今回だけでなく、これまでずっと私達の活動に参加し、戦没者を日本にお迎えしたいという私達の思いを彼は非常によく理解してくれています。今回も操縦席から遺骨や遺留品を誰よりも早く見つけて、機械を止めている間は私達の作業を手伝ってくれたりしました。非常に腕の良い操縦士で、私達の活動に欠くことのできない存在です。今日の作業の目的はこれまでに掘った場所を埋め戻すことでしたが、昨晩降った雨のせいで昨日よりも更に土がぬかるみ、安全に作業ができる状態になるまで作業開始を待ちました。開始後、まだ土がぬかるんでいたため、少しの距離を移動するのにも苦労していましたが、いつもより慎重な操縦で彼は作業を進めてくれました。彼の技術がなければ、作業開始はもっと遅くなっていたと思います。彼のおかげで私達は毎回安全に、時間の無駄なく、安心して遺骨を探すことができます。信頼のおける彼のような人達に私達の活動は支えられています。


普段は粘土質で固い土が、水を含むとかなりぬかるむ。今日は重機が沈むような場所も。

午後からは洞窟調査。この場所は初めて行く場所で、ここを案内してくれた人も、私達の活動に理解を示し、毎回現場作業を手伝ってくれたり、遺骨情報を教えてくれる現地協力者です。今日は民家のすぐそばにある洞窟を調査しました。ご遺骨は見つからなかったものの、炊事場だった形跡を見つけました。またJYMA日本青年遺骨収集団の学生が率先して狭い洞窟の中を調査してくれたり、遺留品を見つけてくれたりしました。今回は本来なら明日まで現場で調査するはずでしたが、昨日もお知らせしたように考古学者の都合で予定が変わっています。そのような状況でも、発掘作業以外で活動ができるのは現地協力者の方々のおかげです。

 
炊事場の形跡があった場所          子供用の小さな茶わん

今回見つかった遺骨は全て収容するはずでしたが、最後の調査地から見つかった遺骨は収容できず、今日全て埋め戻しました。「遺骨調査は国の責務」と言う国に、今回見つかった2つの集団埋葬地について情報提供をします。すぐにでも国が収容してくれれば良いのですが、国がやらず、他にもやる人がいないなら、いつになるか分かりませんが、また費用を募って、多くの方のご協力を得ながら民間団体である私達が、国に代わって収容しに来ます。国のために亡くなった方々が埋まっている場所が分かり、いったん見つけたものの、それを埋め戻さざるを得なかったことを知っていながら、彼らを放置しておくような国にしないためにも、これからも活動を続けます。

次のサイパンでの活動は未定です。
それにも関わらずショベルカーの操縦士が「また次も」と言ったのは、私達が戦没者を放っておかず、必ず戻ってきて活動することを知っているからだと思いました。多くの方々のご協力に感謝しております。


ようやく陽の下に出て来られたにも関わらず戦没者を再び土の下に。
71年前、米軍が戦没者に土を被せたのと同じ作業を、私達が今もしなければならないというのは・・・

★今日のスナップ


ショベルカーの作業開始を待つ間、地元選出の米国下院議員(Gregorio Kilili Camacho Sablan)の事務所で活動状況等を報告。彼も私達の活動に協力して下さっている(議員は不在でした)。

 
ぬかるんだ土に苦労したのは実は私達の車も・・・スタックです。
皆で後ろから押したもののどうにもならず、助けてくれたのはやっぱりショベルカーの操縦士でした。

平成27年11月8日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記⑮

今回の活動では、日本人15体以上と、米兵と思われる3体以上、チャモロ人3体を見つけ、集団埋葬地2箇所を特定しました。そのうち日本兵10体以上と米兵と思われる1体は収容しました(集団埋葬地は未収容、チャモロ人は現地規則に基づき埋め戻しました)。サイパンにおいて民間団体で初めて遺骨を収容できたことは大きな成果だったと思います(これまでは厚労省が一緒でなければ遺骨を収容できず、去年は見つけた遺骨を再埋葬せざるを得ませんでした)。前半の調査で見つけた遺骨は考古学者兼人類学者の鑑定後、サイパンのHPO(歴史保存局)に預けられました。日米双方とも国が引き取りに来るのを待ちます。
ただ、集団埋葬地が見つかっていながら、時間の都合や考古学者の都合のために、収容ができなかった遺骨は次回以降収容することになりました。サイパンで遺骨収容をする場合には米国の法律が適用され、発掘調査には考古学者、遺骨の収容には人類学者が必要です。そしてそれらの学者は米国が認めた人達でなければなりません。日本人とは異なる考え方の人達と一緒に仕事をすることの難しさを今回目の当たりにしましたが、今後も彼らとの付き合いが必要です。仕事をしてもらうためにはどうすれば良いのか、戦没者を日本にお迎えするための試行錯誤は続きます。私達には国の支援や大きな支援体制は一切ありません。ここでの活動は全て自費です。次の収容活動が早いうちに実現できますよう、今後ともご支援ご声援をどうぞ宜しくお願い致します。

★今日の1枚


サイパンで一番高い「タッポーチョー」から島を望む。いまだ2万8千人以上の戦没者が収容されていないこの島のすぐ目の前はテニアン島が。テニアンでも多くの戦没者が取り残されている。

平成27年11月11日

サイパン遺骨収容調査(平成27年10-11月)スタッフ日記最終回

昨晩、今回の参加者全員が無事帰国しました。
今回の活動では、サイパンで、民間において初めて戦没者を収容できたことが大きな成果でした。厚労省が来なくても、米国政府が来なくても遺骨が収容できる。つまり国が関わらなくても、サイパンで遺骨を掘り出すことが出来るようになりました。
ただ、集団埋葬地が見つかったものの、考古学者から時間がないと言われ、埋め戻さなければなりませんでした。それを目の前にしなければならなかった参加者の表情や行動には、様々な思いが、言葉よりも表れていたように思います。そして戦後70年以上がたち、この地で遺骨収容をするためには難題が多くあることも実感しました。
戦没者を探したり収容したりすることを前提とした法律や規則がないため、活動するに当たっての優遇措置等は当然ありません。土を掘るための手続き、動植物や海、自然環境を保護するために設けられた規則、その他様々な法律や規則に則り、許可を取ったり、必要な手続きを踏まなければ、シャベルで土を掘ることさえ許されません。規則にさえ従えっていれば活動ができるのだからそれで良いではないかと、以前は思っていました。ただこれまで実際に現場を見てきて、その規則等が状況によって、時には個人の気分によって変わっているように感じられることも。以前はこの条件を満たせば許可が出たにも関わらず、次に許可をとりにいったら、その条件は必要ないと言われ、代わりに新たな条件を満たすよう言われる。その提示された条件に法的根拠があるかといえば、ない・・・。
私達は、たとえそれが理にかなっていないとしても(それを主張して作業が進めばそうしますが、そうではないなら)、譲歩できることについては提示された要求に応えるようにします。なぜなら私達は少しでも早く戦没者を見つけるためだけに活動しているからです。たとえこちらの主張が正しいとしても、話し合って、相手に納得してもらい・・・等余計な時間をかけることはできません。それで活動が進むならその方法を選択するかもしれませんが、そうではないなら選択しません。ストレスは溜まりますが、私達の目的にかなっているのか、それを選択することの将来への影響等様々なことを考慮のうえで、より良い活動方法を選択していきます。調査活動以前にやるべきことがあって、それができて初めて活動ができるということを、今回少しでもお伝えできていたならと思います。


最終日は次回調査のために各行政機関を回りました。貴重な時間をこのような手続きに時間をとられないよう早足で回ります。現地協力者への挨拶回り等も含めて、継続して活動するには多くの方々から信頼を得る活動も必要なことをJYMA日本青年遺骨収集団の学生や参加者に見てもらいました。

他の国ではサイパンとは異なる状況で、簡単な手続きで収容ができる国もあると聞きます。でも、もし新たな法律や規則が出来たら?今まで通りに調査や収容活動がいつまでもできるとは限りません。また戦没者へ思いを寄せる人が減っていくと、その分活動はしにくくなります。「そんなこと自分には関係ないから協力できない」と言われれば、目の前に遺骨があっても、収容させてもらえないことも実際にあります。

この活動は急がなければいけません。それを少しでも多くの方々に知ってもらい、ご理解頂きたいと思っています。それができれば、この活動はまた新たな展開を迎えられると思います。今はあまりにも知らない方が多く、説明に時間がかかって、活動が思うようにできない一因にもなっています。私達の活動だけでなく、遺骨収容活動を今後とも見守って頂きたいと思います。
なお、今回収容された戦没者は現地機関のHPO(歴史保存局)に預けれられています(この役所は、歴史的・文化的場所や遺跡等を保護するのが本来の業務です)。今回は確認できませんでしたが、これまでは、遺骨はこの役所の倉庫に置かれます。これら遺骨のことと、集団埋葬地が2つ見つかったことは、日米両政府に伝えております。「遺骨収容は国の責務」と日本は言い、米国は最後の一人まで兵士を見つけると言っていますので、両国が一刻でも早く収容に向かうことを期待します。


上空からのサイパン
此処だけでなく戦場となった多くの地で兵士や住民が救援が来るのを待っていた。
命を賭して戦い、倒れたままにされている人達を助けるために今後とも努力していきます。



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