8月沖縄 戦没者遺骨収容 8日目
2026年8月28日
今回の調査の目的の一つは、遺骨が見つかっているこの溝が、どんな場所だったのかを検証することです。4月調査時では、「交通壕」(=連絡壕とも言われ、陣地と陣地を結ぶ通路。伝令や弾薬等を運ぶために兵士が通る通路)の可能性があると考えました。ただ、その後の事前調査で試掘をすると、交通壕かどうか断定できず、今回検証することになりました。
8日間掘ってきて、溝が造られた当時の幅や、床面が所々で出てきました。その結果、この溝は「交通壕」だと思われます(今掘っている約50mの場所に限れば、未完成の箇所もあるかもしれません)。
掘り始めた当初は、どこからどこまで掘れば良いのか全くの手探りでした。それが、ボランティアの参加者のなかに、たまたま専門家らがいて、彼らのアドバイスもあり、掘る場所が分かり、ボランティアが遺骨を探しながら掘り進め、交通壕の形が見えてきました。参加者は全てボランティア。日本人だけでなく、沖縄在留のアメリカ兵や関係者、海外からの参加者もいて、言葉がうまく通じない中でも、しっかり作業が進んでいます。今日は3人の衆院議員(奥下剛光、西岡義高、一谷勇一郎)も参加し、常連ボランティアのサポートのもと、作業に従事されました。また、最高年齢の83歳の参加者もいます。国籍、年齢、職業関係なく、一緒に作業する、これが空援隊の遺骨収容の活動の特徴だと思いながら、スタッフもシャベルを握ってがっつり掘りました。※写真が追い付かないので、写真は後日に掲載予定です。
8月沖縄 戦没者遺骨収容 7日目
2026年8月27日
空援隊のボランティアは、全国、そして海外からも参加されています。その1人がスイスの「解剖医」。日本の遺骨収容に関心があり、昨年に続いて2回目の参加。手際よく全身遺骨を復元くださる等、収容した遺骨の記録をとるにあたっても、活躍いただいています。
私たちが遺骨収容を行う場所は、毎回大規模。少数ではできない場所を、大勢のボランティに参加いただくことで活動を進めてきました。回を重ねるにあたって、専門知識を持つ方々も参加され、その知識によって、活動が深まっています。
そして何より、土を掘って、運んでの重労働や、掘る以外の種々雑多な作業に大勢のボランティアが携わってくださるからこそ、戦没者が見つかり、そして「ここにこれ以上遺骨がない」ことを確認できます。皆さんと共に残り4日間活動を続けます。
本日は、奥下剛光 衆院議員と、三木けえ 衆院議員も参加。戦後81年経った今も沖縄に残る戦没者遺骨の現状を、作業をとおしてご覧いただきました。
収容した全身遺骨を復元するスイスの解剖医
遺骨の数が多く全員で泥落とし
地元西原町出身の大学院生(右)は
「中学校の行き帰りで通っていたすぐ近くでこんなに遺骨が見つかるとは全く知らなかった」と驚いています。
ちなみに、この大学院生はこの日少し早めに現場をあとに。
沖縄は今日まで旧盆で、親戚が集まるそう。
沖縄駐留のアメリカ空軍兵
連絡壕の元の形を掘り出す作業に主に携わっていただきましたが、掘り進めると遺骨が。どこでも見つかると改めて実感。
奥下剛光 衆院議員、三木けえ 衆院議員も発掘に参加
チェーン付きの小銃弾の弾頭。旧海軍司令部壕 未公開箇所の調査でも同様のものが見つかりましたが、日本兵の携帯品とも思われず、皆で首をかしげています
8月沖縄 戦没者遺骨収容 6日目
2026年8月26日
昨日から天気図とにらめっこ。一晩明けて、最新の天気図を見た現場監督は、午後に作業ができると判断。午前中は、強い風が吹き、雨も強く、窓の外を眺めながら「本当に作業ができるのか?」と不安もよぎるほど。しかしいざ、出発すると、風も雨もやみ、問題なく作業ができました。
まずは、たまった雨水のかきだし。足元はどろどろで滑り、ぬかるみには足をとられ思うように歩けません。そんななか少ない人数で水を掻き出していきます。参加者から
「あまりにも量が多くて終わるかなと思った
という声が聞かれるほど水たまりが多く、水量もありました。それでも1時間半で水抜きを終えられました。
遺骨収容というと発掘作業のイメージですが、発掘を支えるこのような作業があってはじめて発掘ができます。発掘以外の作業は、手間や時間がかかる割に注目されず、作業に携わる人は、まさに縁の下の力持ち。そのような作業を、泥だらけ、汗まみれになりながら一緒にすることで、連帯感がうまれるのかもしれません。
その後は、発掘作業開始。当初予想していたように、「連絡壕」だと思われる様子がどこの箇所でも見えてきました。掘り進めると、両脇で「地山」(=人工的に手を加えていない元の土地)が現れ、足元も「壕底」と我々が呼ぶ、壕が造られた当時の床面が見えてきます。それらは連絡壕の様相をあらわしています。
地山や壕底が近くなると、ほとんど遺骨が出てこないことも多く、「そこまで掘る必要がありますか」と聞かれることもあります。そうおっしゃりたくなるのも無理はないほど発掘作業はかなりの重労働。しかも何も見つからなければ、達成感もなく、疲れだけが溜まっていきます。それでも「その作業は必要です」とお答えします。というのは「ここにこれ以上、遺骨が残されていない」ということを確認することも、遺骨収容の目的の一つだからです。本日以降の作業は、「地山」や「壕底」まで掘る作業も多くなります。特に今日は足元も悪く、水を含んだ土を掘り、確認するのはいつも以上に重労働でしたが、皆さん泥だらけになるのもいとわず作業くださいました。明日からは通常通り朝から作業します。
たっぷり水が溜まっていました。まずは2人で水をかき出し(2人だけでは結構しんどかった…)
順次参加者が到着し、3人1組で作業。1人増えるだけで、効率があがり、はかどります。
ようやく水抜きが終わり、発掘開始
足元はぬかるみ、すべりやすく、そのうえ運ぶ泥は重く、かなり作業しづらい。発掘も重労働で、交代しながら作業を進めました。
雨上がりに活発にお散歩するという「アオミオカタニシ」をたくさん見かけました。日本では沖縄だけで生息するそうです。
8月沖縄 戦没者遺骨収容 5日目
2026年8月25日
今日は朝から台風18号対策。本部周辺をブルーシートで覆い、雨水を少しでも防ぐため、現場にブルーシートをかぶせました。いつ悪天候になるか分からないため、急ピッチでの作業。足場の悪い斜面にブルーシートをかける際は、有志の自衛隊員が活躍。8人のボランティアがいつも以上にてきぱきと動き、朝7時から作業開始し終わったのは朝9時前。その後は活動休止としました。奥下剛光 衆院議員も、4月に滋賀県近江八幡市長を退任した小西理 空援隊理事も台風対策の一員でした。
その後西原町役場を訪問すると、ちょうど私たちと入れ違いで、職員が現場を訪れたとのこと。既に台風対策が済んでいて、「作業が早いですね」と驚かれていました。明日は天気と相談しながら、作業を再開するかどうか判断します。
余談…
見つかった爆発物の量を見て(昨日の投稿)、参加者の皆さんはその多さに驚きます。一方、小西理 空援隊理事は
「少ないな…」とぽつり。
小西理事は空援隊が見つけたサイパンでの集団埋葬地の遺骨収容の参加者(調査は2011年~2012年)。その集団埋葬地から見つかった爆発物は、艦砲弾など大小合わせて、トラックの荷台にびっしりとありました。遺骨も約800体見つかり、多くの遺骨を見つけたことを思い出しました。
一方、沖縄に残されている遺骨は、厚労省の発表によれば約500人。サイパンに残されている2万人以上の戦没者数に比べると、もうほとんど残っていないと思っていました。しかし、この現場では近年の沖縄では見たことがないと言われるほど多くの遺骨が見つかっています。終わりが見えませんが、皆さんと協力して活動を進めてまいります。
台風が近づいているとは思えない静かな朝でした
斜面の雨水が直接流れ込まないように対策
斜面は足場が悪く自衛隊員にお任せ。
時間をかけないよう全員で彼をサポート(写真左は奥下剛光 衆院議員)
台風が過ぎ去るのを待ちます
朝9時には台風対策完了!
8月沖縄 戦没者遺骨収容 4日目
2026年8月24日
土日の参加者がそれぞれ約50人、約40人だったのに比べて平日の今日は14人と少な目(といっても平日に集まって下さる人数としては少なくありませんが)。その中には、沖縄県議、国会議員、地元西原町住民、沖縄県庁の職員もいました。
午前中は時折雨が降るため、発掘作業ではなく、昨日収容した遺骨の泥落とし。午後からは、昨日見つかっていた2人分の頭蓋骨のうちのお一人と、2人分の全身遺骨を収容しました。また、台風18号の影響が明日の午後から出るとの予報で、地表に見えている遺骨を収容していきました。
台風で現場が水没する可能性があるために露出している遺骨を収容したいのですが、少し掘ると遺骨が次々と見つかり、作業が終わりません。遺骨の多さを多さを改めて感じます。地元参加者は子供の頃この場所のすぐそばを通っていたとのことで、「西原町住民の半数近くが戦闘で亡くなったとは知っていたが、まさかここが戦場だったとは思わなかった」とおっしゃっていました。
昨日と本日、沖縄のメディアが我々の活動を報道し、近くの公民館の区長さんが手を合わせに訪れました。激励のことばも毎回かけていただき、近隣の皆様にご理解いただき活動を応援いただいていることで、スムーズに活動ができていることを実感しています。明日は台風対策をします。
朝から時折雨が降るため、午前中は遺骨の泥落とし
見つかった遺骨(一部です)
収容するたびにこのトレーが遺骨でいっぱいになります。多い日は1日で20枚以上…
4日間で見つかった手榴弾等の弾薬
台風対策として、2人分の全身遺骨を収容しました
昨日見つかった3人分並んだ頭蓋骨のおひとり。全身が残っている可能性があるため、台風が過ぎてから続きを掘り上げることに。
常連参加者の元米海兵隊員(右)と一緒に土をかき出す瑞慶覧長風 沖縄県議(左)と地元西原町出身の與儀幸太郎さん(真ん中)。
奥下剛光 衆院議員(右)は空港到着から現場に直行。すぐに収容作業にとりかかりました。
国会議員も、沖縄県議も、県職員も、現場では立場関係なく一緒に作業します。
台風対策のため本部の荷物を撤収
中身が詰まった箱を運ぶのは
スイスの解剖医とパートナー
箱の中は遺骨です
(収容した遺骨うちの一部です)
8月沖縄 戦没者遺骨収容 3日目
2026年8月23日
今日は初参加者も多い日でした。その方々によく聞かれたのが
「遺骨ってこんなにたくさん見つかるものですか?」
それを聞いた常連参加者やスタッフは即答で
「いいえ、通常はこんなに見つかりません。丸1日掘って、遺骨が見つからないことは普通です」と。
そう聞きたくなるのももっともなくらい、どの箇所からも遺骨が次々と見つかります。
調査3日目の本日までで、丸々残った頭蓋骨が10人以上見つかっています。頭蓋骨は割れやすいので、それが丸々残っていること自体珍しいです。3人分の頭蓋骨が並んで見つかった場所もありました。
また、昨日全身遺骨が見つかったすぐ隣の遺骨も、全身が残っていて、2人分の全身遺骨が並んで発見されました。これは近年の沖縄では非常に珍しいことだと思われます。
というのは、沖縄では戦後すぐに、住民を中心に地表の遺骨が収容されたと聞き及びます。その後も遺族やボランティアらが遺骨収容を進めてきた歴史があります。これまで我々が沖縄で遺骨収容に取り組んできた場所は、過去に遺骨収容が行われた形跡がありました。地表に遺骨はなく、残された遺骨を収容するということが多かったですが、現在の調査地は、戦後81年手つかずです。
3日間掘り進めてきて、当初推測したように「交通壕」(=連絡壕とも言われ、陣地と陣地を結ぶ通路。伝令や弾薬等を運ぶために兵士が通る通路)である可能性が高くなりました。調査している約50mの溝の一部で、横幅や深さが「交通壕」の特徴を示しています。そこにアメリカ軍が日本兵の死体を投げ入れた様子がどの場所からも見受けられ、「集団埋葬地」なのだと思われます。「交通壕」であれば、長さは100m以上です。
「終わる検討がつかない…」
と参加者が何度もつぶやくのはもっともです。
数日後に台風18号が沖縄本島を直撃する可能性が高いなかでの調査が続いています。掘った後の場所に水が流れ込まないように、また水が流れ込んでも最小限の被害で済むよう、参加者の自衛隊員が土嚢を積んで対策を講じてくださいました。十分な数の土嚢袋がありませんでしたが、数が足りなければそれに応じて対応くださいます。また、空援隊の調査では発掘作業を支える本部の役割が非常に大きいです。参加者が増え多くの遺骨も見つかり本部の手が足りないため、発掘作業には携わらず、丸2日間本部を手伝ってくださった方もいらっしゃいます。それ以外にも、丸1日土砂運びをしてくださる方、遺骨の泥落としに携わる方々、そして直接参加されなくても、応援の声を届けて下さる方々等、ボランティアの皆さんのチームワークによって、活動が前進しています。そして今回は、西原町が我々の活動のためにトイレや水道を用意くださいました。これも作業をする者にとっては、非常に助かっていますどうもありがとうございます。
朝一は取材から始まりました。沖縄テレビ、沖縄タイムス、琉球新報、毎日新聞が、全身見つかった遺骨の取材に訪れました
台風18号が近づいているとは思えないくらいの晴天でした
本年4月調査時に、鉄兜をかぶった頭蓋骨の下から更に頭蓋骨が見つかりました。その場所の下から今回3人目の頭蓋骨が。パワフルな自衛隊員の方が「不器用ですが‥」とつぶやきながら、小さな道具で頭蓋骨を掘り出していました。
↑そのすぐ隣からも大きな遺骨がたくさん見つかります。どの場所でもこのような光景が見られます。
頭蓋骨が3人分並んで見つかりました(3つ目の頭蓋骨が撮れていませんでした…)
↑3つ並んだ頭蓋骨の一つを掘り出しています
掘り出した場所に雨水が流れ込まないように、発掘しながら土嚢で対策くださっています(奥)。土嚢袋はがほぼ満杯で、積むだけでも非常に重労働でした。
「柴森光一」の名前入りの万年筆。ご遺族を探したいと思います。
一体分の遺骨が見つかった場所から見つかった印鑑。「戸田」と彫られています。
8月沖縄 戦没者遺骨収容 2日目
2026年8月22日
本日は約50人のボランティアに参加いただきました。そのうちの約20人が有志の自衛隊員。彼らの中には常連参加者も多く、遺骨や遺留品を探しながら掘る方法や、効率の良い作業を初参加者に教えながら作業を進めてくださいました。戦闘や遺留品、爆発物、遺骨に関する知識が豊富な人もいて、作業全体を見てくださっています。
更に、遺跡発掘の調査員、戦没者遺骨収集情報センターで長年働いていた元職員、スイスから来た解剖医も参加くださり、どこまで掘るのか等の土壌や発掘に関する知見、遺骨や遺留品に関するより詳しい知見等が加わり、専門的な視点でも活動をみてくださいました。そして、ボランティアの皆さんが協力しながら作業くださり、チームワークによく、活動が進んでいます。ボランティアの皆さんはお互いほぼ初顔合わせ。小学生、中学生、高校生、大学生、県外からの参加者、沖縄在住のアメリカ人やブラジル人も加わり国際色も豊かです。
そして今日も、約50mの溝の様々な場所から遺骨が見つかっています。頭蓋骨丸々が残ったものが5体以上見つかっていたかと思いますが、それ以上は多すぎて数えられない程…。
その作業の中見つかったのが、全身が残った遺骨です。空援隊の沖縄での活動において、初めて見つけました(海外での調査では何度も見つけたことがありますが)。遺骨収集情報センターの元職員は、「こんなに遺骨が見つかる場所を(近年)沖縄で見たことがない」と何度も口にされていました。
まだまだ下に掘れる場所も多く、どれくらい遺骨が見つかるのか…、そして約50mの範囲を今回終えられのか、台風18号が近づくなか、天候と相談しながらの作業が続きます。
朝一はまず本部周辺で天幕張り。常連参加者の親子が準備でも活躍!
朝礼は人数が多いため現場でしました
遺骨の泥落とし。常連参加者が遺骨に関してみなさんに教えながら作業くださいました
ここ数日、時折強い雨が降る日もありましたが、本日は時折晴れ間も見えました
全身が見つかった遺骨です。沖縄の遺骨収容では、遺骨がバラバラに見つかることが多く、空援隊が沖縄で発掘調査を開始してから全身遺骨を見つけたのは初めてです。
印鑑が見つかりました。「谷藤」さんか「藤谷」さんです。この場所は歩兵89連隊が戦闘していたので、これから調べます。
眼鏡
お守り?裏には梵字が書かれていました
8月沖縄 戦没者遺骨収容 初日
2026年8月21日
沖縄県西原町の丘陵地において、第2回戦没者遺骨収容を開始しました。今年4月の調査で「集団埋葬地」を想起させるような「溝」を発見し、多くの遺骨が見つかった場所です。
この場所は、1945年5月4日と5日に、日本軍が大規模な「反転攻撃」を行った場所のひとつ。「反転攻撃」の主力となった2つの大隊合わせて約2000人が攻撃に参加し、生き残ったのは200人に満たなかったと「西原町史」に記載されています。4月調査では時間切れとなり、今回はその続きです。
4月調査では溝のどの場所からも遺骨が見つかりました。今回も掘り始めると早速「遺骨が見つかりました」という声が。手榴弾が見つかったすぐそばから頭蓋骨や、大腿骨等大小の骨が次々と。別の場所でも頭蓋骨をはじめ遺骨が見つかり、別の調査地に参加したことのある人からは「ここではこんなに遺骨が見つかるのですね」という声も。
今回はこの「溝」が何かを確定させることも調査目的の一つです。前回調査では、「交通壕」(弾薬を運んだり、伝令を伝えたりするための陣地と陣地を結ぶ通路)だと推察しましたが、幅や深さ等がより明確になることで、詳しいことが分かるかもしれません。
今回も参加者が多彩です。今日は小学生や高校生、自衛隊員、在沖アメリカ軍関係者、県外からの参加者等々。明日は50人以上が参加予定です。台風も近づいていますが、皆さんで活動をすすめていきます。
雑木林での調査
今年4月に全員で一列になって掘った結果「溝」となった場所を拡張し、深く掘っていきます
小学生も活躍中!
地元高校生も手榴弾や大きな骨を見つけています
在沖アメリカ軍関係者は初参加と思えない手際の良さ
雨が降ったりやんだりで少し早めに撤収しました
沖縄 戦没者遺骨収容のご案内・2026年8月
2026年7月1日
2026年8月に、沖縄において戦没者遺骨調査を実施します。
ご参加ご希望の方はお早目にお問合せ下さい。航空券や宿泊先につきましては、ご自身で手配いただくか、空援隊にご連絡ください。夏休みのため、費用が日に日に上がっていきますのでご注意ください。費用は日にちにより大きく異なります(ご検討中の方もご一報下さい)。
【期間】2026年8月21日(金)-31日(月)
※最短参加日数は1日(終日)以上。期間中のご都合の良い日にご参加ください。
【場所】西原町 ※詳細は参加者にお知らせします。
※①沖縄県外の方と②沖縄県在住者とで参加条件等が異なります。
①沖縄県外から参加の方
【参加条件】
○ご入会ください。
○戦没者への哀悼の意を体現するため、滞在期間中次の2つのルールを守れる方
・食事を食べ残さないこと
・禁酒
【締め切り】2026年7月24日(金)
②沖縄県在住の方
【参加条件】
1日(終日)以上参加可能なこと、他
※その他についてはお問い合わせ下さい。
【締め切り】2026年8月10日(月)
◎参加方法◎
空援隊にメールか電話でお問い合わせ下さい。
(電話)075-321-4661
(e-mail)office@kuuentai.jp
※メールでのお問い合わせの際には、必ず電話番号もご記載下さい。空援隊からのメールが届かない場合があるためです。
お問い合わせいただいてから通常3日以内に返信しています。もし3日経っても連絡がない場合は、お手数ですが電話でお問合わせ下さい。また、迷惑メールフォルダーにメールが振り分けられている場合もありますのでご確認下さい。
通常総会、年度報告会開催
2026年7月1日
6月27日に京都において、通常総会と年度報告会を開催しました。台風7号の影響もあってか参加者は少なめでしたが、全員が現場調査参加者ということで、いつも以上にざっくばらんにお話をしました。約20年前のフィリピン活動時代から、厚労省の遺骨収容事業に後ろ向きな姿勢が、今も全く変わらないこと等を、初代理事長の杉若恵亮理事と共にお話ししました。遺骨収容を取り巻く環境は厳しく、自前で活動しているボランティア団体はさらに厳しい状況ですが、やるべきことをやっていく姿勢は、設立当初から変わらないことを改めて感じました。
特別映像もご覧いただきました
台風の影響が心配されましたが関西や名古屋からお越しいただきました
YouTubeに映像を掲載しました
2026年5月27日
沖縄県で行われた戦没者の遺骨収容。文化財課も知らなかった全長160mの日本陸軍の壕を、のべ約600人のボランティアが調査しました。参加者の中には沖縄駐留アメリカ兵も。年齢、国籍様々な人が一緒に作業し、多くの遺留品を発見。名前の入った筆箱は81年ぶりに北海道の遺族のもとに帰りました。一方、遺骨はそれほど多く見つかりませんでした。見つからなかったことは、決して悪いことではありません。「空援隊」が実施する組織的な戦没者遺骨収容のレポートです。
『“見つからなくてよかった”「私たちの」戦没者遺骨収容 沖縄2025-26』
空援隊YouTubeチャンネル
(2026年5月掲載)
※よろしければ画面下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
YouTubeに映像を掲載しました
2026年4月28日
空援隊が沖縄県西原町で実施した戦没者遺骨収容で、次々と遺骨が見つかりました。遺骨をどのように探し、発見にいたったのか、調査レポートです。
『2026年4月沖縄 戦没者遺骨収容レポート
―西原町で多くの遺骨見つかる―』
空援隊YouTubeチャンネル
(2026年4月掲載)
※よろしければ画面下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
東京ドキュメンタリー映画祭in OSAKAで上映されました
2026年4月28日
東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA(2026年4月18-24日 シアターセブン)において、スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 2025 -ボランティアの組織的調査-』が、4月23日に上映されました。上映は平日の昼間、しかもその日は雨と風の荒天でしたが、会員さんを含めて多くの方にご覧いただきました。
上映後の舞台挨拶では観客から質問を頂戴しました。活動をしっかりご理解いただいた質問で、いっぱい話したくなる思いをおさえながらお答えしました(うまく答えられず…)。劇場に足を運んでいただいた皆様、そして主催者の皆様に感謝申し上げます。
スタッフが舞台挨拶をしました。
4月沖縄 遺骨収容(西原町第1回) 最終日
2026年4月6日
本日は最終日。多く見つかった遺骨の整理や資材の片付け、本部撤収がメイン作業です。空援隊の遺骨収容は、掘るだけではありません。戦没者を少しでも多く早く収容するには、現場で安全に皆さんに活動いただくことが大前提となります。そのために本部を置き、滞りなく作業できるように、支援体制を作っています。また、遺骨や遺留品を管理するのも本部の仕事。本部があるから、現場作業に集中できます。今回は特に遺骨が多く見つかったので、遺骨の整理が全く追い付きませんでした。最終日は、現場を閉じて、あとは本部作業を手伝いました。
遺骨収容と聞くと、発掘のイメージがありますが、それができるのも、私たちの活動においては、本部を含めて、発掘作業を支える様々な作業があるからです。連日土砂運びだけ、また、確認した土を置く場所を作る等々…掘る作業に全く関わらないこともざらです。初日の資材運びだけでなく、最終日の本日は、終了・片付けの作業も含めて、参加者の皆さんにかかわっていただきました。今後も、発掘だけではなく、様々な作業が必要な非常に広い現場です。発掘だけではない作業もありますが、それでもよろしければ、次回またご参加ください。
≪西原町第1回調査 結果≫
・ボランティア参加者数:のべ約120人(4日間)
・収容遺骨:遺骨収集情報センターにいったん預けます
※厚労省の遺骨の数え方がわかりませんので、収容数ははっきり分かりませんが、現在推定数を確認中。
・自衛隊が収容した爆発物
・旧軍製50㎜重擲弾 10発
・旧軍製手榴弾 32発
・米軍製手榴弾 1発
・発煙筒 4発
・小火器弾 88発
朝から沖縄テレビ(OTV)さんと沖縄タイムスさんが取材に来られました。沖縄テレビ(OTV)さんはこの日、そして沖縄タイムスさんは翌日の朝刊トップ紙面に報道しました。
朝の訪問者がもう一組。
自衛隊の爆発物処理班が手榴弾等を収容しました
発掘はほとんどせず、土嚢を作り現場を閉じる準備。
ブルーシートを溝にかぶせ現場を閉じます。
遺骨の泥落とし
常連参加者からは「これまでの現場で見たことがないくらい多くの遺骨」との声
午後の飛行機で帰る東京からの参加者(高校生)。帰る直前まで作業くださった。
見つかった遺骨の一部
遺骨に比べて遺留品は非常に少ない。今後掘ってみないと調査地がどんな場所だったのか、どんな戦闘が行われたのかは分かりません。これから遺留品がもっと出れば、何かわかることがあるかもしれないし、そうでないのかもしれない。私たちも試行錯誤で調査しています。
近くの公民館区長さんらが、お供え物を持って訪問くださった。じっと手を合わせられていました。周辺の区長さんらの協力と理解もあって活動が円滑に進んでいます。
常連参加者からのお供え物
4日間でのべ120人のボランティアに参加頂きました
4日間(実質業日数は2日間半)でこれだけの遺骨を収容。ご遺骨は遺骨収集情報センターに預けます。
4月沖縄 遺骨収容 3日目
2026年4月5日
本日も多くの遺骨を収容しました。1日の収容数としては、空援隊が沖縄で発掘調査を始めて以来、一番多かったです。私たちが10年以上前に発掘したサイパンでの集団埋葬地を思い出しました。作業している皆さんの後ろを通るたびに「遺骨が見つかりました、大きいです」という声が。本日のボランティアは50人。高校生、大学生、有志の自衛隊員、県外からの会員、沖縄駐留のアメリカ兵等々が今日も一緒に活動しました。
掘っている場所は交通壕(連絡壕)ではないかと、今のところ推測しています。その場所は斜面の下。斜面に沿って50人近くが1列に並んで掘ると、どこの場所でも遺骨が見つかり、溝になりました。戦後、その溝にさとうきび畑から見つかった遺骨を置いた(放り込んだ)のかもしれません。また、遺骨を収容すると更にその下から次々と遺骨が見つかる場所も。もしかしたら、下の遺骨は、戦闘後、溝に死体が放り込まれた、また、そこでそのまま亡くなられた可能性もあります。
明日で「今回の」調査は終了ですが、まだまだ全く終わりません。交通壕であれば、1m50㎝は掘り下げる必要があります。横幅もまだ狭いので、広げる必要もあります。
空援隊の沖縄調査の初期から参加くださっている参加者が「これまでこんなにたくさん見つかることはなかったですね」と口にされていました。1日中掘り続けても何も見つからないことは、遺骨収容では当たり前です。それでも土砂を運び続け、何もないことを確認してきました。戦後81年経って、沖縄で、こんなに多くの遺骨が見つかるのか…というのが正直な感想です。
早朝は土砂降りの雨。作業の説明は、急遽、雨のしのげる場所に移動。
掘り進めると、交通壕だと思われる溝が見えてきました。
今回掘っている場所の中間地点。まだまだ、先に続きます↓
今の溝は約50mですが、これがずっと先に続くと思われます。何百メートルになるのか…。
溝に沿って歩いていると、どこからでも「遺骨が見えています」という声が。
ここでも遺骨が。写真はそのごく一部です。
大腿骨を掘り上げたところ。
このような光景がどこでも見られました
皆さんの後ろには収容した遺骨。この光景もどこでも見られました。
がつがつ土砂を掘る場面で、毎回シャベルを両手に活躍いただいている常連参加者(自衛隊員)。今回は座って終日こつこつ。
最初は溝の外から掘っていましたが、溝が深くなり、溝の中で作業
日本陸軍のヘルメット
↑ヘルメットの中には頭骨がそのまま残されていました。頭蓋骨丸々そのまま見つかったのは、2日間で7体分。
見つかった遺骨のうちの一部。多すぎて遺骨の整理や、撮影が全く追いついていません。
早朝は土砂降りでしたが、昼間にはすっかり晴れました。戦没者も81年ぶりに陽のもとに(これらの遺骨も見つかったうちのほんの一部)。
4月沖縄 遺骨収容 2日目
2026年4月4日
「掘ってみなければ分からない」というのは、「遺骨や遺留品が見つかりますか?」「遺骨が出ると分かっていて掘ったのですか? 」等と聞かれた際に、これまで何度もお答えしている言葉です。しかし、本日は誰に聞かれるわけではなく、そのセリフが何度も頭に浮かびました。というくらい、たくさんの遺骨が見つかりました。
今日は1日中雨の予報だったので、到着した人から早速作業開始。まずは昨日同様、地表の葉っぱをどけます。枯葉の下に遺骨がないかを探すためです。次にその場所に金属探知機をかけ、反応した場所を掘ります。金属探知機が反応した場所のひとつに、事前調査で地表に大腿骨が見つかった場所がありました。掘ってみると遺骨や遺留品が次々と。更にその場所を左右に広げてると遺骨や遺留品が。当初は2人で掘っていましたが、場所を広げるたびに「掘り部隊」を増やし、最終的には40m程に広がった場所を、参加者全員の約30人が一列になって掘りました。どの場所でも約15㎝くらい掘ると、遺骨や手榴弾、発煙筒等、爆発物が見つかります。
地元の人によれば、戦後サトウキビ畑だったとも聞くので、見つかった遺骨や爆発物を脇に置いた(放った)のかもしれません。見つかっている場所は、斜面の下です。皆さんが掘っている場所を通るたびに「これは遺骨ですか?」と聞かれ「まさに。」という会話を何回も繰り返しました。正直、調査開始前には、遺留品や爆発物は見つかっても、遺骨はほとんど見つからないかもしれないと思っていました。しかし、まさに
「掘ってみなければ分かりません」
多数の大腿骨等、足の骨、そして頭蓋骨も丸々1体見つかっています。
昼過ぎに雷が鳴り、雨も強く降ってきたので、今日は作業を中断しました。まだ遺骨が見えている箇所がいくつもあります。明日もこの続きをします。
ちなみに…、天気予報では今日は朝から雨、次第に強雨ということでした。しかし、昼過ぎまで雨とは無縁。途中、太陽も顔を出しました。大勢のボランティが集まったのを知り、81年間埋まったままの戦没者が、土から出してほしいと願ったのかもしれないと思うような天候でした。空援隊の現場では、不思議と調査に大きな影響を及ぼすような天候にはなりません。
今日も葉っぱを掃除し、金属探知機をかけます
葉っぱを集めて、運んで捨てる、の繰り返し
地表で大腿骨が見つかった場所で、金属探知機が反応。掘ると遺骨が見つかりました。最初は2人で作業していましたが遺骨や遺留品が次々と見つかるので範囲を広げることに↓
掘り部隊を増やしたところ、そこからも遺骨や遺留品が。そこで、発掘場所を左右に延長↓
参加者全員一列に並んで調査
各場所で遺骨が次々と見つかります。
遺骨の写真を撮る暇がない!
昨日と今日半日で、手榴弾、発煙筒、迫撃砲弾、等々爆発物が約30発
今日は1日中雨の予報でしたが、昼食時には日差しも。
雷鳴が聞こえ雨脚が強くなってきたので、午後は1時間ほどで作業終了。今日の最年少参加者は12歳、高校生や大学生、沖縄駐留のアメリカ兵も含めて今日も、国籍・年齢様々の人たちが一緒に作業しました。
4月沖縄 遺骨収容 初日
2026年4月3日
沖縄県西原町において戦没者遺骨収容を開始しました。西原町は住民の半数が戦争で犠牲になったとも言われる、沖縄戦初期の激戦地の一つです。調査場所は日米の陣地があり、激しい戦闘が繰り広げられました。地元の人の話では、地表にあった遺骨は収容されたものの、犠牲者が非常に多く、大きな遺骨だけが収容されていること。また、大々的な遺骨収容は行われておらず、取り残された遺骨があること、戦後サトウキビ畑だった時期があるので、見つかった遺骨は適当な場所に置かれた、子供の頃手榴弾で遊んだ…等の話を聞きました。皆さんが一様に口にするのは「遺骨収容は終わっていない」ということです。そこで、徹底調査することになりました。
空援隊は2022年から沖縄で発掘調査を始めましたが、屋外での調査は初めて。壕での調査とは全く勝手が違い、地表の枯葉をどけて遺骨の有無を確認したり、金属探知機で反応があった場所を掘ったりと試行しながらの調査です。このような調査では、遺骨は探しにくいと思っていたところ、脚と思われる遺骨が。その遺骨の中には、木の根っこが生えて地面に張りついていました。そのすぐ後に、別の場所でも大腿骨の一部が見つかり、そのすぐそばを掘ると浅い場所から、足の骨や手榴弾、発煙筒も。毎回思うことですが、「やってみないと(調査してみないと)分からない」ものです。
平日でしたが約20人が参加。中学生の頃、調査地のすぐそばを学校帰りに通っていたという西原町出身の大学院生、常連の大学生、県外からも多数の会員、沖縄駐留のアメリカ兵や軍関係者らも参加しています。明日からの土日は、人数が倍以上になります。天気予報は雨で、どんな調査になるか分かりませんが、今回も大勢の参加者と調査を行います。
みんなで道具運びから調査開始
葉っぱをはらって地表に遺骨がないかを確認する
「竹ぼうきがほしい」という声も聞かれるくらい、まさに枯葉掃除です
骨の中に根っこが生えている
大腿骨や手榴弾が一緒に見つかった。
地面に突き刺さるような状態で遺骨が見つかるのは珍しい。
下あご
大学生、大学院生、沖縄駐留のアメリカ兵のチームで遺骨が見つかった周辺を掘り出す
東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKAで映像上映のお知らせ(4月)
2026年3月28日
東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA(2026年4月18-24日)において、スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 2025 -ボランティアの組織的調査ー』が上映されることになりました。
短編部門コンペティション「戦争の記憶を継ぐ」のプログラムにて作品が上映されます。このプログラムでは、スタッフの作品を含めて全部で4作品上映され、スタッフの作品は3作品目に上映されます。当日はスタッフも劇場に参ります(舞台挨拶の予定)。
多くの皆様のご来場をお待ちしています!是非、関西のお知り合いにもお声がけ下さい。
映画祭では、昨年の東京ドキュメンタリー映画祭2025の受賞作品や話題作品等、多彩な作品が上映されます。そちらもどうぞご鑑賞ください。
| 日時 | 2026年4月23日(木)12時~ 短編部門コンペティション「戦争の記憶を継ぐ」で上映されます ※舞台挨拶もある予定 |
| 場所 | シアターセブン (阪急「十三」駅から徒歩5分 ビルの5階) |
| 公式HP | 東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA |
沖縄で見つかった遺留品 ご遺族のもとへ
2026年3月27日
昨年(2025年)8月に、沖縄県糸満市の陸軍構築壕から見つかった筆箱が、昨日(3月26日)、札幌のご遺族のもとに帰りました。
筆箱の持ち主は、都築忠夫さん。北海道栗山町出身で、記録では陸軍24師団歩兵32連隊所属の伍長、沖縄戦終結直前の1945年6月20日に戦死されました。
筆箱を受け取られたのは、忠夫さんの甥の都築利雄さん(87歳)。利雄さんの父親の弟が、忠夫さんです。利雄さんは忠夫さんの記憶はなく、自身の父親の秀雄さんも忠夫さんについて多くを語らなかったとのこと。利雄さんが戦死された年齢を含めて詳しいことが分からず、身近に感じることはなかったとのことでしたが、筆箱を受け取り、「(叔父が)亡くなった事実を実感し、悲しい」と話されました。また、戦後、都築家に送られてきた白木の箱を秀雄さんが開けると、入っていたのは沖縄の石ころ1つだけ。「遺骨が入っていると思っていたが・・・」という気持ちを思い出されていました。
仏壇には、父親の秀雄さんの写真の隣に、軍服を着た忠夫さんの写真が置いてありました。利雄さんは筆箱を仏壇に置き、じっと手を合わされました。戦後81年が経ち、戦没者を直接知らないご遺族のなかには、遺留品の受け取りを断る方もいらっしゃいますが、利雄さんは、遺留品を受け取るのは仏壇を守っている自分の当然の務めだと話されていました。
この壕は全3回調査し、のべ585人のボランティアが従事しました。多くの方が携わったことで、81年ぶりに遺留品が沖縄から北海道に帰りました。
北海道在住で、空援隊理事長の千葉英也(北海道議会議員)が筆箱をお渡しした
筆箱(右 蓋と思われる)と同じ場所から見つかった認識票(左)もお返しした
「都築忠夫」と彫られていた筆箱
認識票 「山三四七五」は、忠夫さんが所属してた歩兵第32連隊の呼称
仏壇に置かれていた忠夫さんの写真
忠夫さんの甥の都築利雄さん
利雄さんは「筆箱がここに帰ってこられてよかった」と話した
第三回山国映画祭で上映
2026年3月18日
大分県中津市で開催された第三回山国映画祭(3月13-15日)において、スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が上映されました。ゆったりとした時間が流れる山間の自然豊かな場所での映画祭。素敵な場所で作品を上映いただけたこと、作品をご覧いただいた皆様、そして主催者の皆様に感謝申し上げます。地元の方が今シーズン最後の寒さかもと話し、霰も時折降るなか、遠方から会員さんもご参加くださいました。嬉しいひと時でした。
日差しは春でしたが顔にあたる風が冷たい!
古民家カフェ「山国きのたんく」で上映
沖縄 旧海軍司令部壕 未公開箇所 戦没者遺骨収容(2022年-2024年)に参加されたご遺族の荒川恒光さんが奥さまと福岡県から駆けつけてくださいました。
2026年2月・沖縄で大学生らが遺骨収容に参加
2026年3月1日
2月22日~24日、沖縄県糸満市において戦没者遺骨収容を実施しました。参加者は大学生や大学院生、教員ら。空援隊と旧知の教授からの依頼で、学生の沖縄研修の一環として実施しました。大東文化大学、名城大学、青山学院大学、中京大学、ワルシャワ大学、京都大学、姫路女学院、専修大学、お茶の女子大学から総勢26人、地元サポートボランティアを含めて3日間でのべ77人が従事しました。
場所は昨年8月と11月に調査した壕。11月調査最終日に、戦後の遺骨が見つかり警察が駆け付け、掘り終わらなかった箇所がありました。今回はそこを調査、完掘しました。また、おととし8月から調査してきた壕から見つかっていた民間人と思われる7体分の頭蓋骨等を整理し、学生たちと共に、最終日に遺骨収集情報センターに提出しました。
今回の調査は、壕を閉じるために半日ひたすら土嚢を作り、遺骨がないことを確認するための発掘等、調査を終える作業がメインで、遺骨や遺留品を見つける機会はほとんどありませんでした。長年遺骨収容に携わっていれば、それも遺骨収容のひとつだと理解できますが、遺骨収容と聞いて想像する作業とはかけ離れた土木作業が続き、初参加者ばかりの学生らは面食らったかもしれません。「その作業全てが遺骨収容です」と言葉を重ねたところで、理解を得られない難しさを感じながら作業していました。最終日、今回終えるのは難しい可能性があるなか作業を開始しましたが、各自ができることを進んで見つけ、工夫を重ねて一致団結したことで、なんとか完掘できました。
作業の途中、「壕ってこんなに暑いんだ」「作業がしんどすぎる!」という言葉が聞こえてきました。スタッフにはその意味がとてもよくわかります。取り立てて特別な感想ではないと思う人も多いでしょうが、これらの言葉は、実際に現場で作業したからこそ出てきた言葉。文章にすると伝わりませんが、実感がこもっていました。事前に想像していた作業ではなかったかもしれませんが、机上では絶対に知りえないことを体験した機会となったようです。大変でしたが一つの調査を終えられました。皆さんお疲れさまでした。
2月沖縄調査 初日(2月22日)
2ヵ所に分かれて調査。一組は遺骨の整理。
もう一組は壕を閉める作業。
この日は人数が少ないため、いつもより丁寧に説明。
まずは道具の名称や置き方から。
土嚢の作り方も説明
土嚢で入口を塞ぐ。学生にもやってもらいました。
翌日の調査予定地から、岩や土砂を運び作業しやすいように整備。大きい岩がいくつもあり「重い!」「大変!」という声も上がりましたが、翌日の作業後には「初日のほうが完全に楽だった…」という感想に代わっていました。
沖縄県議の瑞慶覧長風議員が視察
皆さんこの日はまだまだ余裕でしたが…
2月沖縄調査 2日目(2月23日)
集合時間の20分ほど前には学生さんらが全員集合!スタッフより早く来たチームも。
開始直後は3チームに分かれましたが、今回で完掘させるため、全員壕に入る作戦に変更。まず先頭で土砂を掻き出し。
掻き出した土砂を30m先まで
約20人でバケツリレー
30m先は長い
まだまだ中盤
最終尾は天井が低く、ずっと中腰。
これがきつい!
背の低い人に代わりましたが
それでも中腰!
壕内でひたすら掘り続け、重い土砂を運び続け、かなり汗をかきました。ちなみに、発掘はローテーションしたものの、だんだん人員が減り、大変だったのが感じられました。
前日の作業終了後は笑顔だった参加者が、本日は疲れていました…
2月沖縄調査 最終日(2月24日)
午前中で完掘するために、急ピッチで作業を進めます。作業に慣れてきて動かす手も前日より速くなってきました。
指示しなくても、工夫しながら作業を進めていました
後日壕を塞ぐための土嚢を80個作成。
土嚢づくりチームのリーダーは学生が担当。
小さな隙間から次々と弾頭が…。
時間が迫るなか人手がとられました。
壕での作業と並行して
外ではテントを畳み、資材を洗いました。
なんとか完掘。
昨年8月に調査を始めた頃、赤い線の高さまで土砂が積もっていました(赤い線を境に色が変わっています)。昨年11月と今回でその土砂を全部運び出し、壕が造られた当時の状態が分かりました。スロープと階段状になって奥に続き、現在岩で閉じられている奥は、戦時中は出入り口だったと思われました。
我々がおととし(2024年)8月から調査した壕から見つかった遺骨。場所は今回の洞窟から徒歩20分程のところ。これらを提出するため全員で平和祈念公園に。
戦没者遺骨収集情報センターに提出。
所要時間約3分の簡単な引き渡し。
遺骨を探すだけでなく、壕を閉じ、資材を片付け、遺骨を提出して、ようやくひとつの調査を終えられます。これらの作業すべてが遺骨収容です。何をしているのかよくわからなかった人もいるかもしれませんが、学生の皆様、よろしければまた現場でお待ちしています。
沖縄NICE映画祭4で「NICE特別賞」受賞の報告
2026年2月21日
沖縄NICE映画祭4(2026年1月23-25日)において、スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が、NICE特別賞を受賞しました。この賞は、上映(入賞)だけに留まらず、多くの映画ファンに向けて「今観るべき映画」として沖縄NICE映画祭が、その作品性を「傑作」として認める賞とのことです。映画祭では多くの皆様にご覧いただきました。どうもありがとうございます。
尚、この作品は、第3回山国映画祭でも上映されます。どうぞご鑑賞ください。
■舞台挨拶がYouTubeに掲載されています。
『『沖縄NICE映画祭4』 Eブロック舞台挨拶』
第3回山国映画祭で空援隊の映像上映のお知らせ(大分・3月)
2026年2月21日
スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が、大分県中津市山国町で開催される第3回山国映画祭(3月13-15日)で上映されることになりました。スタッフの作品は「短編上映プログラム」で上映されます。詳細は以下をご覧ください。多くの皆様のご鑑賞をお待ちしています!
| 日時 | 「短編プログラムA」で上映されます 2026年3月13日(金)13時39分~ 2026年3月14日(土)17時59分~ ※上映時間は目安です。お早めにお越しください。 |
| 場所 | 山国きのたんく (大分県中津市山国町守実商店街のレトロな温泉宿をリフォームしてインディーズ映画が気軽に鑑賞可能なマイクロシアター&カフェ&バー) |
| 公式HP | 第3回山国映画祭 |
沖縄 戦没者遺骨収容のご案内・2026年4月
2026年2月14日
2026年4月に、沖縄において戦没者遺骨調査を実施します。
ご参加ご希望の方はお早目にお問合せ下さい。航空券や宿泊先につきましては、ご自身で手配いただくか、空援隊にご連絡ください。早目の予約ですと安く上がることが多いです。ただし、曜日により大きく異なります(ご検討中の方もご一報下さい)。
【期間】2026年4月3日(金)-6日(月)
※最短参加日数は1日(終日)以上。期間中のご都合の良い日にご参加下さい。
【場所】参加者にお知らせします。
※①沖縄県外の方と②沖縄県在住者とで参加条件等が異なります。
①沖縄県外から参加の方
【参加条件】
○ご入会ください。
○戦没者への哀悼の意を体現するため、滞在期間中次の2つのルールを守れる方
・食事を食べ残さないこと
・禁酒
【締め切り】2026年3月19日(木)
②沖縄県在住の方
【参加条件】
1日(終日)以上参加可能なこと、他
※その他についてはお問い合わせ下さい。
【締め切り】2026年3月25日(水)
◎参加方法◎
空援隊にメールか電話でお問い合わせ下さい。
(電話)075-321-4661
(e-mail)office@kuuentai.jp
※メールでのお問い合わせの際には、必ず電話番号もご記載下さい。空援隊からのメールが届かない場合があるためです。
お問い合わせいただいてから通常3日以内に返信しています。もし3日経っても連絡がない場合は、お手数ですが電話でお問合わせ下さい。また、迷惑メールフォルダーにメールが振り分けられている場合もありますのでご確認下さい。
沖縄調査2026年 1月 番外編②
2026年1月26日
昨日見つかった器は、有田焼の「深川製磁」が戦前に海軍省に納めた士官用の食器だったことが、同社への問合せで分かりました。明治の近代化を進めるにあたり、海外との折衝の際には晩餐会、食事が重要な要素となり、皇室と共に各国大使館、旧帝国海軍でも英国式洋食器と和食器が導入されました。それを同社が納めてきたとのことです。
たった1つの遺留品から、81年前の方々や、出来事に思いを馳せるきっかけとなりました。それが可能となったのも、1年間、協力者がこの壕を調査してきたからです。また、スタッフはただの器だと思い、出てきた直後の撮影をすることもなく、掘り続けていましたが…、珍しい器だと教えて下さったのも協力者です。皆さんのおかげで私たちの活動が成り立っています。改めて感謝申し上げます。
ちなみに、私たちは2022年10月から全5回、海軍司令部壕の未公開箇所を調査しましたが、その際に既に同社の器を見つけていました(気づいていませんでした)。旧海軍司令部壕で展示されている、未公開箇所調査の遺留品の中に同社の器が並んでいました。沖縄にお越しの際には、是非、実際にご覧ください。
旧海軍司令部壕で展示されている
海軍士官用食器『波に桜花模様』。
昨日見つかった器と同じ柄
↓裏には「富士に流水」の商標
沖縄調査2026年 1月②
2026年1月25日
協力者の自衛隊員ボランティアチームが、昨年1月から調査してきた旧海軍司令部壕(豊見城市)周辺にある壕の調査が終わりました。
本日は、自衛隊員が多く、また一般の参加者もパワフルなひとたちばかり。狭い壕内に1m以上堆積した土砂を、前方でガツガツ掘り、後方チームがそれを途切れなく運びます。良いチームワークで次々と土砂が掘り出され、計画していたよりも広範囲を確認することができ、最後に、壕を閉めました。
今回の2日間の調査では、既に調査がほぼ終わっていたため、ほとんど遺骨は見つかりませんでしたが、珍しい遺留品が見つかりました。その一つが日本「陸軍」の軍隊手帳。ここは「海軍」の壕ですが、戦禍が激しく、色々な人達がこの壕にいたことを思わせるものでした。1年間協力者が見つけた遺骨を、明日、「戦没者遺骨収集情報センター」に預けます。
ちなみに、この遺骨を厚労省が何体と数えるのかは私たちにはわかりません。というのは、厚労省から収容数の報告がないためです。おそらく、ボランティアへの報告義務はないからだと推察しますが、遺骨収容を「国の責務」としている活動を、国に代わって行っているボランティアに対する国の姿勢がそれです。
次回の大規模調査は3月の予定です。
集合時間までに全員がそろいました。
地元の高校生や沖縄駐留アメリカ軍関係者も参加しました。
前方で掘り出した土砂を、後方チームが運んでいきます
大きな岩を自衛隊の皆さん(別称:アベンジャーズ)が動かしてくださいました
通りがかった平和学習に訪れた福岡県のグループが現場を視察
日本陸軍の「軍隊手牒」
長年遺骨収容にかかわってきた方が「見たことない」と話していました


裏印から有田焼の宮内庁御用達の「深川製磁」社のものと思われます
戦前・戦中のものかは調査中です。
※「深川製磁」製だと分かりました(2026年1月26日)
この壕で見つかった遺留品(一部です)
壕を閉める前、1年間調査してきた協力者がお酒をお供えしました。
壕がまた一つ、完掘しました。
沖縄NICE映画祭4 スタッフ制作の作品上映
2026年1月24日
スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が、本日、沖縄NICE映画祭4(2026年1月23-25日)で上映され、参加してきました。遺骨収容仲間が大勢足を運んで下さり、中には空援隊の活動に理解くださっている役人さんの姿も。
多くの遺骨が残され、国の事業が進んでいないのはサイパンでも同様。更にサイパンでは民間団体にとってより厳しい現状があり、それらを少しでも知って頂くために制作しました。多くの方にスクリーンでご覧頂け、大変光栄でした。
そして映画祭の後に、沖縄で初の新年会を開催しました。
明日は現場に戻ります。
桜坂劇場(那覇市)で沖縄NICE映画祭4が開催
上映後に舞台挨拶も
倉田宇山専務理事も急遽登壇
現場調査の常連さんばかりでざっくばらんな会でした
沖縄調査2026年 1月①
2026年1月23日
沖縄県での今年初の戦没者遺骨収容を実施しています。
場所は旧海軍司令部壕(豊見城市)周辺にある壕。旧海軍司令部壕においては、2022年10月から全5回、空援隊は未公開箇所で遺骨収容を実施し、多くの遺骨や遺留品を見つけました。その調査が終了した2024年1月以降、協力者のボランティアの自衛隊員らが司令部壕周辺にあるいくつかの小さな壕を、休日を利用して調査してきました。最後の1つとなった壕を、2日間で完掘することが今回の目的です。
協力者らが調査を始めた当初、地表に遺骨があり、調査するたびに大腿骨等遺骨が見つかりました。梅雨に冠水し、水が引いた後も土砂が泥のような状態だっため、数ヵ月発掘収容作業を中断。その間は壕口を広げて出入りしやすくする等、協力者が整備してきました。既に壕底(=壕が造られた当時の床)まできれいに掘り上げられていて、残っている箇所はわずか。小さな遺骨や歯、遺留品が混じっている土砂をふるいで確認。また土砂が40cm以上堆積した小さな部屋では、壕底まで土砂を掻き出しました。人数が少ないなか、調査を続けてきた自衛隊員らや、常連の参加者らのおかげで、作業が進みました。残り1日で壕を閉じます。
入口から、らせん状の階段を下りた場所
協力者らがほぼ調査を終え、残っている土砂を精査
ベテラン勢(平均年齢70歳以上!)のふるい隊
シャベルで土砂を入れる人、ふるう人と
ローテーションしながら作業されていました
水が浸入し、土砂が流れてくるため土嚢で補強。
ただ掘って終わりではない協力者の作業を見て
信頼できる仲間と一緒に活動できる嬉しさを改めて感じました。
常連の自衛隊員と名桜大生のチーム。
↓しっかり土嚢で埋められました
40cm程土砂が堆積していた場所。
中腰での作業はかなりきついですが
自衛隊員が掘り上げ、最終日に終える目途がつきました。
掘り出した土を土嚢に入れる。
これは壕をふさぐために使います。
スタッフも久々に丸一日作業し最後はヘロヘロでした…
大腿骨等大きな骨
協力者らが小さな骨も見つけてきました
小銃弾は400発以上
沖縄NICE映画祭4で空援隊の映像上映のお知らせ
(1月24日(土))
2026年1月9日
スタッフが制作した『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』が、沖縄NICE映画祭4(那覇市)で上映されることになりました。映画祭は1月23日(金)-25日(日)に開催され、様々なジャンルの作品が並んでいます。スタッフの作品は「Eブロック」で上映されます。詳細は以下をご覧ください。多くの皆様のご鑑賞をお待ちしています!
| 日時 | 2026年1月24日(土)10時~ ※1番最初の上映です。このブロックでは他に2作品上映されます。 |
| 場所 | 桜坂劇場(那覇市) |
| 公式HP | 沖縄NICE映画祭4 |
東京ドキュメンタリー映画祭2025で上映(12月9日)
2025年12月9日
スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 2025 -ボランティアの組織的調査-』が、東京ドキュメンタリー映画祭で上映されました。会場は満席に近く、会員さんらも駆けつけて下さいました。
2回目の上映は、12月15日(月)10時からです。是非劇場に足をお運びください。
短編部門コンペティション「戦争の記憶を継ぐ」のプログラムにて上映されます。
| 日時 | <2回目>12月15日(月)10時 |
| 場所 | 新宿ケイズシネマ(東京都新宿区新宿3丁目35-13 3F)JR新宿駅 東南口 徒歩3分/東口 徒歩5分 |
| 公式HP | 東京ドキュメンタリー映画祭 |
スタッフが舞台挨拶をしました
報告会開催(12月7日・東京)
2025年12月9日
東京で報告会を開催しました。遺骨収容の常連さん等、気心の知れた方々が多く、遺骨収容の現状や国の事業の問題点等々、ざっくばらんに気ままに語りあいました。
遠方から(静岡、岐阜、関西)もご参加くださいました。
東京都小金井市 市民講座で講演
2025年12月6日
専務理事の倉田宇山が、令和7年度本館主催講座 市民講座に講師として招かれ「戦後80年、戦没者の遺骨収容の実態」というテーマでお話ししました。
フィリピンで父親を亡くされたご遺族や、遺骨収容に参加されたことのある方、また遺骨収容について何も知らない方も含めて、皆さん熱心に耳を傾けてくださいました。ほとんどの国民が知らないことが、この活動が進まない要因のひとつです。今後も遺骨収容について伝えていくことも必要だと改めて感じました。開催にご尽力いただいた皆様に改めまして御礼申し上げます。
講演会開催にご尽力下さったメンバーのお一人
会員の子安一宏さん
(日本ウクライナ交流会の代表もされています)
空援隊専務理事の倉田宇山
厚労省の遺骨の収容数と予算のグラフ
予算は大幅に増えているのに、収容数がそれに全く増えていない実態。 かなり減っている年も・・・
皆さんからの質問が核心をつくものばかりで時間いっぱいお話ししました。
報告会開催のお知らせ(12月・東京)
2025年11月22日
活動報告会を東京新宿において開催します。軽食をいただきながら、ざっくばらんにお話しする予定です。
ご参加ご希望の方は12月3日(水)までにご連絡下さい。事前予約制です。
尚、同日、新宿の新宿ケイズシネマで開催される東京ドキュメンタリー映画祭において、スタッフが作成した沖縄遺骨収容の映像が、14時25分から上映されます(参照)。報告会後スタッフも参ります。こちらにも是非足をお運びください。
※会場の都合上、事前予約制です。
ご参加ご希望の方は、12月3日(水)までにご連絡ください。
| 日時 | 2025年12月7日(日)11時30分~13時30分 |
| 場所 | 場所は参加者にお伝えします。 JR「新宿」駅 徒歩約10分の会議室 |
| 連絡先 | メール: office@kuuentai.jp FAX: 075-321-4607 電 話: 075-321-4661 |
沖縄調査2025 11月④
2025年11月10日
「掘ってみなければ分からない」
これは、参加者にスタッフがよくお伝えする言葉です。それを改めて今回の調査で感じました。
11月9日(日)
今年8月から調査を開始し、前回と本日までで合計13日間調査してきました。昨日までほとんど遺骨が見つからず、そのことを否定的に考えている方もいらっしゃいましたが、「ここに残されていなくて良かったです」とスタッフはお伝えしてきました。
明日は現場撤収日のため、本日が実質的に活動最終日。調査の終わりは見えてきましたが「今回の調査で一番の“難敵”の通路が残っている」という話をして調査に取りかかりました。
“難敵”というのは、腰より上の高さに土砂が積もっている長さ約8mの通路。奥に向かって土砂が積もり、高さは約3mになります。この通路を調査するため、入り口前や、その周辺に積もっている土砂を初日から掘り、ようやく本日取りかかれることに。
先頭で土砂や石を掘り出しながら確認し、それを20m以上先までバケツリレー。最終尾では、壕内の石や岩で石垣を作りながら土砂置き場を整備します。先頭でひたすら土砂を掘るのは、沖縄に駐留するアメリカ兵や自衛隊員のなかでも特にパワフルな人たち。かなりの重労働で、午前中だけで「ヘロヘロ」と話す人達や、昨日丸一日掘り続け「握力がなくなってきた」という人も。銃弾は多く見つかるものの、それ以外には遺留品や遺骨が見つからないまま終了時間が近づいてきたときー。
大腿骨等、脚の骨が丸々見つかりました。
更に遺骨がないか掘り進めたいと思いましたが、土砂や大きな石が遺骨の上に乗っていて、時間が足りません。明日は撤収日の予定でしたが、作業を続けることになりました。
遺骨収容では終了間際に遺骨が見つかることも少なくありません。「まだ残っている、終わらないで」と言われているようにも感じられます。
ようやく見つかった遺骨
・・・ということを下書きしてHPに掲載予定でしたが、昨日は掲載できず、今日の分と合わせて掲載しようと、いつも通り朝早く現場に向かいました。尚、この日の活動後、下書きの最後に以下の一文を追記する必要が出ました。
「ちなみに、遺骨の下の土砂の間から見えていた水色の袋。それはこの壕にたくさん捨てられていた戦後の肥料袋でした。それを常連の大学生が見て「戦後の遺骨の可能性もある…?」とつぶやいていたそうです。
参加者は今回最多の約60人。写真におさまりきれません。
“懸案”の通路の先頭。
汗の蒸気が見えるほど暑い中での重労働。
「パワー系」の沖縄駐留のアメリカ兵や
自衛隊員らが掘り続けました。
前方で掘った土砂の運搬
今日も20m以上先まで土砂をバケツリレー
列が長く先頭のリーダーの声が後ろまで届かないほど。
最後尾とのやり取りは無線機を使用していました。
最後尾は土砂捨て場の整備
土砂が流れ出ないように石を積んで石垣を造ります。とぎれなく土砂が運ばれるため、あっという間にここが満杯に近づきますが 土砂置き場が更に遠くなることを懸念するスタッフは「午前中に出た土砂は、できればここに置いてほしい」と無茶なお願い。 色々やりくりしながらその通りにしてくださいました。
別のグループは、未完掘の場所を手分けして調査
「髙田清」さんの印鑑
出入り口近くを発掘していたグループは
この出入口を完全封鎖するため、
大量の土嚢を積んでくださいました↓
壕から少し離れた場所の洞窟で今日も作業
午後の小休憩時に沖縄支部長から「ぜんざい」の差し入れ。
11月とはいえこの日の沖縄は暑かったためパワーチャージに。この時点で見つかった遺骨や遺留品は、掘り出した土砂量と比較してほぼないに等しくこのまま作業が終わると皆さん思っていたかもしれません。 この小休憩の直後、大腿骨等が見つかりました。
最後の最後に遺骨が見つかり本当に「見つかるものですね」「良かった」という声が聞かれました。
11月10日(月)
本日は作業撤収日でしたが、大腿骨を含む脚の骨が露出しているため掘り出すことに。作業は午前中のみ。ゆっくりしていられないため、朝礼は省略し、来た人から壕に入りました。まず、見えている遺骨を掘り出した後、遺骨が乗っていた水色の肥料袋をめくるとー
背骨がそのままの状態できれいに並んでいました。
それを見た現場監督が「(背骨がきれいに並んでいるということは)遺体のままここで遺骨になったということ。遺骨になってからこの壕に放り込まれた可能性はない。」と断言。背骨の真上には戦後の肥料袋、その上に大腿骨があり、脚をくるむようにあった布は、下地がメッシュ生地の服のようです。そしてすぐそばには、別の水色の肥料袋が見えています。遺骨はこれまで見てきた戦没者の遺骨と同じようにも見えましたが、戦没者の遺骨だと断定できない状況です。とはいえ、一方で遺骨のすぐそばから、未発射の小銃の弾頭も見つかっていました。
そこで、爆発物処理立ち合いのために訪れていた警官に通報。その後、糸満警察署の刑事課と鑑識が現場に到着し、壕内で遺骨の写真を撮影。更に遺骨がないか確認したいという警察の要望で、作業に慣れている私たちが発掘し、遺骨や証拠となるような遺留品を収容。その中には小銭もありました。そして、背骨のすぐそばにあった丸みを帯びた水色の肥料袋をめくるとー
頭蓋骨。
糸満警察署が沖縄県警本部に応援を要請し、全部で6人の刑事らが現場を確認。遺骨を収容した警察が、私たちの本部テントで遺骨を確認している間に、遺骨のそばで見つかった小銭をスタッフが磨くと、1970年の1セントでした。これが決定的となったのか、戦後(1970年以降?)の遺骨である可能性が更に高まり、沖縄県警察本部が、全ての遺骨やその周辺の遺留品を持ち帰り、警察が鑑定することになりました。
当初の予定では、昼前に道具掃除を終えテントも畳み終わっている予定でしたが、資材を預けている協力者が到着した昼過ぎまで発掘が続き、急いでテントを撤収、あわただしく今回の調査を終えました。
調査を終えてー
いつもは現場撤収後に、戦没者遺骨収集情報センターに遺骨を預けに行きますが、今回は警察に1体分の遺骨をお渡しし、それ以外の遺骨を戦没者遺骨収集情報センターに預けました。昨日とは全く異なる急展開に、作業を終えた余韻にひたることもないまま、あわただしく壕を後にしました。
報告が最後になりましたが、今回でこの壕をほぼ完掘できました。遺骨が見つかった通路が少し残っていますが、ここは沖縄在住の協力者に引き継ぎました。
遺骨収容に携わってから初めての経験をし、あっという間に1日が過ぎていきました。ようやく落ち着き、今改めて思うことは、最後に遺骨が見つかったのは、8月の調査を含めて大勢の参加者が土砂を掘り、運び、確認したからです。前回と今回合わせて14日間の作業の積み重ねが、1体の遺骨にたどりつきました。遺骨が見つかったことも成果ですが、一方で「この壕にこれ以上遺骨がないこと」、それを参加者全員で確認できたことも大きな成果です。
参加頂いたのべ500人以上のボランティアに感謝申し上げます。私たちの作業は、正直、楽ではありません。しんどいと思います。ほぼ初顔合わせで、経験値がバラバラな参加者を、朝一に班編成し、各班を率いて下さるリーダーたちには毎回色々と無理難題をお願いしています。それを受けて下さり、お願いした以上の成果を出して下さるリーダーの皆さん。また、遺骨収容のイメージとはかけ離れた、土木作業や下働きのような作業に丸一日従事くださる方々、その他全ての参加者に御礼申し上げます。皆さんと一緒にまた作業にさせていただきたいというのが、今一番に思うことです。よろしければ、またご参加下さい。そして、直接活動に参加されなくても、応援して下さる皆様方を含めて、改めて感謝申し上げます。
「掘ってみなければ分からない」
参加者に繰り返し伝えてきた言葉が、改めて自分に突き刺さった今回の調査でした。
時間がないため、到着した人から作業を開始
脚の骨の下にあった農薬の袋をめくると、
きれいに並んだ背骨が。
戦没者ではない可能性が高くなり、警察に通報。
糸満警察が現場確認
応援要請を受けた沖縄県警本部も到着。
遺骨をくるんでいた布の確認。
遺骨のすぐ近くから見つかった1970年製の1セント
沖縄県警本部が遺骨を持ち帰りました。
戦没者か否か、鑑定結果を待ちます。
ぎりぎりまで作業していたため大急ぎでテントの撤収
最終日は道具洗いと伝えていたので参加者は少ないですが
“イレギュラー”の事態も常連参加者の皆様によってのりきれました
今回でほぼ完掘
次回は来年2月の予定です。場所は現在検討中です。
7体の頭蓋骨が見つかった洞窟で印鑑発見 沖縄調査2025 11月③-2
本年2月に、頭蓋骨を含めて多くの遺骨が次々と見つかり、現在も調査中の洞窟で、本日、急遽調査しました。この洞窟では、現在まで7体の頭蓋骨が見つかっています。それ以外にも多くの遺骨が見つかり、その中には幼児、女性、男性のものと思われる遺骨があります。遺留品は、お釜ややかん、女性のものとみられる装飾品等で、日本軍の武器や武器関連の遺留品は見つかっていません。また、銀製とみられるジーファー(かんざし)や入れ歯等も見つかっていて、亡くなられたのは、民間人で、裕福な方々だったのではないかと推察されます。
更に本日、印鑑が見つかりました。「賀マカト」と彫られています。ご遺族にご遺骨を是非お返ししたいと思いますので、何が手がかりがありましたら空援隊までご連絡いただけますよう、何卒よろしくお願いします。

印鑑「賀マカト」

仏様?

銀製とみられるジーファー(かんざし)

発掘途中の頭蓋骨

遺骨も次々と見つかっています

本調査の洞窟とは別班を組み調査しました

沖縄在住のアメリカ兵らも一緒に作業
2025年11月8日
沖縄調査2025 11月③-1
今日は約40人が参加。大人数作業での調査が始まりました。
多くの土砂が積もっている通路が手つかずで2つ残っており、ここを大勢で調査。それ以外にも、2か所に分かれて作業するというのが、当初の予定でした。ところが、本年2月に調査し、頭蓋骨を含めて多くの遺骨が次々と見つかったため、現在も調査中の近くの洞窟でも、急遽調査をすることに(本日この壕から印鑑が見つかりました。詳細はこちらをご覧ください)。
複数のグループに分かれて調査できるのも大勢のボランティアが集まってくださるからこそ。大量の土砂が積もっている通路では、人によっては、丸1日ひたすら土砂を運ぶだけの作業もありました。その方々から作業後に「明日も参加して良いですか」「是非次回も参加させてください」という声が次々と。また連日参加されている方は「体ばっきばきです」とおっしゃりながら笑顔です。ほとんど初顔合わせの人が集まり、一丸となって一つの目的のために汗まみれ泥まみれになって作業できる現場に居合わせられるありがたさを感じる瞬間でした。明日で完掘できる目途をつけられるように(明日で完掘できるように)、皆さんと共に明日も作業を続けます。

朝礼(明日はこれ以上の人が来てくださる予定です)

壕に入るために渋滞中

大量の土砂が積もっている通路
土砂の掘りだし

バケツリレーで運搬

人数がおおいため、バケツリレーの列は20m以上!

バケツリレーの脇では、深さ1m以上の穴にもぐって発掘

別の場所でも発掘、この場所は終わる目途がつきました

メイン通路でも小グループで作業
土砂がそれほど積もっていないため順調に作業が進むかと思っていましたが
床が水平ではなく、また遺留品が見つかるので時間がかかっています

昨日の投稿で、この岩は動かないと書きましたが
挑もうとされる方々か!?


ボランティア
(自衛隊員と沖縄在住のアメリカ兵や退役軍人ら)
2025年11月7日
沖縄調査2025 11月②
今日も、参加者が多い土日にスムーズに作業できるように、土日に取り掛かる予定の通路前の土砂をひたすら確認。そして、確認した土砂を置くための広い場所が必要なため、急ピッチで作業を進めました。その一方、昨年8月から我々が調査し、現在まで7体の頭蓋骨が見つかっている少し離れ場所にある壕を県の担当者が視察。そこに4社の新聞社が取材に訪れました。
今日も(空援隊にしては)少人数でしたが、作業が進み、明日の朝一から全員総出で一気に作業を進められそうです。

今日も、掘出し、運搬、確認と手分けをして作業開始

一方、少し離れた壕で県の担当者が視察&新聞社4社が取材

土砂を置く場所を確保するために
壕底(=壕が造られた当時の床)まで掘って確認

今回最高齢の82歳の参加者
スタッフと一緒の作業をこなしていただき
オーバーワークだったかもしれません…

壕内から出てきた大小さまざまな石や岩を並べ
その中に確認した土砂を入れます
このように新しく作られた石垣が壕内に随所にあります

昨日と今日作業したおかげで
明日以降に作業する通路の前が立って歩けるようになりました

少しの時間だけでもと、常連参加者が最後の1時間参加くださいました
(明日以降作業する通路の前にある岩
動かないと思いますが、明日以降どうなるかは分かりません)
2025年11月6日
沖縄調査2025 11月①
今年8月に調査した壕の第2回戦没者遺骨収容を開始しました。
調査するのは糸満市にある全長160mの陸軍の構築壕。文化財登録がなく、糸満市史にも載っていません。周辺のごくわずかな住民しか知らない壕を、協力者の洞窟探索チームが今年発見し、今回の調査につながりました。
昨日降っていた雨が上がった本日は10人が参加。今日と明日の任務は、土砂が多く積もった通路を調査するために、その通路入口をふさぐように積もっている土砂を掘り出して、参加者が多い土日にスムーズに作業できるようにすること。今日は空援隊の調査にしては参加者が少な目ですが、常連さんが多く想定より作業が進みました。明日どれだけ掘り進められるかで、今回この壕を掘り終えられるかどうかが見えてきそうです。

調査前に大石宗高知支部長から
新垣元沖縄支部長に、支部長委嘱状の授与

今回も手分けをして作業
まずは土砂を掘り出し

運搬

遺骨や遺留品の確認

理研光學工業株式会社(現リコー)の計算尺「Relay」
戦中のものの可能性も

三角定規の数字が手掘り こちらも戦中のものの可能性も

少数でしたが作業がすすみ、最後は土砂が置けなくなるくらい
この廃土置き場がいっぱいに

今回も沖縄駐留のアメリカ兵も参加されています

全員出身地がばらばら

2025年11月6日
東京ドキュメンタリー映画祭2025で空援隊の映像上映
空援隊スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 2025 -ボランティアの組織的調査ー』が東京ドキュメンタリー映画祭2025にて上映されることになりました。
短編部門コンペティション「戦争の記憶を継ぐ」のプログラムにて作品が上映されます。多くの皆様のご来場をお待ちしています。約2週間の期間中、多彩な作品が上映されます。
(上映日時)
短編部門コンペティション「戦争の記憶を継ぐ」(4作品上映されます)
・12月7日(日)14時25分
・12月15日(月)10時
(場所)新宿ケイズシネマ(東京都新宿区新宿3丁目35-13 3F)
JR新宿駅 東南口 徒歩3分/東口 徒歩5分
(公式HP)東京ドキュメンタリー映画祭
2025年11月6日
あんき映画祭2025で奨励賞を受賞しました
10月25日と26日に開催されたあんき映画祭映画祭2025で、空援隊スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 旧海軍司令部壕』が奨励賞を受賞しました。
主催者から「多くの方、特に小学校や中学校で是非見てもらいたい」ということばを頂戴しました。
戦後80年以上が経ち、戦争じたいを知らない世代も出てきています。私たちの活動に参加頂くことで、肌身を通して戦争について触れる一助となればと考えています。映像はそのための広報ツールの一つ。より多くの人に見て頂きたいと改めて感じました。
2025年9月20日
沖縄 戦没者遺骨収容のご案内(2025年11月)
11月に沖縄において遺骨調査を実施します。8月に調査した糸満市にある全長160mの壕の調査の続きをします。
ご参加ご希望の方はお早目にお問合せ下さい。
航空券や宿泊先につきましては、ご自身で手配いただくか、空援隊にご連絡ください。早目の予約ですと安く上がることが多いです。ただし、曜日により大きく異なります(ご検討中の方もご一報下さい)。
<沖縄 遺骨調査(2025年11月)>
【期間】2025年11月6日(木)-10日(月)
※最短参加日数は1日(終日)以上
期間中のご都合の良い日にご参加下さい。
※10日(月)は予備日のため、調査が既に終わっている
可能性があります。この日のみの参加はご遠慮ください。
【場所】糸満市 ※詳細は参加者にお知らせします。
※①沖縄県外の方と②沖縄在住者とで参加条件等が異なります。
①沖縄県外から参加の方 ※まずご入会ください。
【参加条件】
○戦没者への哀悼の意を体現するため、
滞在期間中次の2つのルールを守れる方
・食事を食べ残さないこと
・禁酒
【締め切り】
(空援隊に手配を依頼される方)10月15日(木)
(ご自身で手配される方) 10月25日(土)
②沖縄県在住の方
【参加条件】
終日、1日以上、参加可能なこと、他。
※その他については、お問い合わせ下さい。
【締め切り】2025年10月25日(土)
◎参加方法◎
空援隊にメールか電話でお問い合わせ下さい。
メールでお問い合わせいただいた場合、必ず電話番号をご記載下さい。
空援隊からの返信メールが届かない場合があるためです。
(電話)075-321-4661
(e-mail)office@kuuentai.jp
※メールでお問い合わせ頂いた場合、通常3日以内に返信しています。
もし3日経っても連絡がない場合は、電話でお問合わせ下さい。
また、迷惑メールフォルダーにメールが振り分けられている場合が
ありますのでご確認下さい。
2025年9月15日
YouTubeに映像を掲載しました
2025年7月にサイパンで執り行われた戦没者慰霊祭。神道、仏教、キリスト教の宗教家が、国籍関係なく、全ての戦没者を共に追悼し、世界の平和を祈りました。
そして、戦没者の遺骨調査では、昨年見つけた遺骨がなくなっていましたー。
戦没者と向き合い続ける空援隊の2025年サイパンレポートです。
(2025年9月掲載)
『サイパン2025 戦没者慰霊祭・遺骨調査』
※よろしければ再生後、画面下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
2025年09月01日
沖縄調査2025年8月⑨
全長約160mの壕を調査してきた昨日の最終日。約50人以上が集まりました。
毎回、集合時にいくつかの班に分け、各リーダーが班を率いました。時間や資材を含めて様々な制約があるなか、それらを各リーダーが考慮くださりながら、チークワーク良く作業しているのを見て、自分も頑張ろうと、毎日スタッフが元気をもらっていました。
初参加のアメリカ海兵隊は「日本人リーダーが的確に指示してくれたので、とても作業しやすかった。また参加したい。」と笑顔で帰っていきました。また、洞窟での作業に不安を持っていた参加者は「真剣に作業する一方、雰囲気は和気あいあいとしていて安心できた」と話していました。まさにその雰囲気がしぜんに醸成されるのが、空援隊の調査の特徴かもしれません。年齢や職業、国籍、様々な人たちが集える場をつくるのが空援隊の役割で、あとは参加者が主体となって、一丸となって調査が進む(それは各リーダーのおかげでもあります)。そんな場面を今回も何度も見ました。
9日間の作業で、壕全体の8割を終えられました。確認した大量の土砂と比較すると遺骨はほとんどありませんでした。収容数が少ないことは、成果がないように思うかもしれませんが、「ここに遺骨が残されていなかった」ことを確認できたことも、大きな成果です。それが確認できたのは、のべ380人以上のボランティアのおかげです。
「人の力はすごい」という声を聞きましが、まさにその通りです(実際に作業された方には、この言葉を実感いただけるかもしれません)。
参加下さった全ての皆様に感謝申し上げます。そして、実際に参加されなくても、この活動は様々な方々に支えられています。近隣の方のご理解によりスムーズに活動できました。また、様々な方からの声援も届き、それが私たちの活動の源にもなりました。その全ての皆様にも感謝申し上げます。どうもありがとうございます。
この壕の続きは、できれば年内に実施したいと思っています。決して楽な作業ではありませんが、よろしければ、どうぞご参加ください。

早朝、駐車場からの空
近隣の駐車場を9日間無償でお借りしました。
住民の皆様どうもありがとうございます。

昨日、外につながった通路の土砂を手分けして発掘(奥が出入口)
様々な遺留品が見つかりました。

土砂運びをする沖縄駐留アメリカ海兵隊員

今回最年少参加者の小学校4年生は遺留品を見つけていました

琉球大生、名桜大生、自衛隊員、海兵隊員のチーム

土砂が1m以上積もり、這ってしか通れなかった場所
最後は立って歩けるようになりました

爆発物は陸自の爆発物処理班が収容

昼食時、自衛隊員と海兵隊員

昨日開けた出入口は次回まで閉じることに

出入口を閉じるための土嚢を運ぶ
参加者から「やっぱり土嚢運びは空援隊恒例ですね」との声が。

外からも土嚢を積む

最終日は道具洗いも

テントも畳みます。大勢なので作業が早い!

泥だらけだったヘルメットもきれいに

最後に壕の前で、神職でもある倉田専務理事が祝詞をあげました


2025年08月30日
沖縄調査2025 8月⑧
今回2回目の土曜日は50人近くにご参加頂きました。懸案だった場所を、いくつかの班に分かれて作業を進めました。岩や石が多く、なかなか思うように作業が進みませんが、常連の参加者を中心に、皆さんチームワークよくしっかりと作業下さっています。確実に壕が掘り上げられていく様子に、思わず「良い仕事だな」と足を止めて何度も見てしまいました。
一つの場所では、突き当りだった場所が外につながり、「本部に行き来しやすくなった」と、皆さんから喜びの声が。この場所は3日前に、80人以上のアメリカ海兵隊員が、1m以上積もった石を1日中運んでくださったことで、本日、一気にほっていくことができました。全ての活動が積み重なって、私たちの活動は進んでいます。
最終日の明日も、できるところまで掘っていきます。

土砂が積もり、天井に頭がつきそうになりがらの作業

土砂量が多く狭い場所

土砂はそれほど積もっていませんが
様々な種類の遺留品が出てきました

2025年08月29日
沖縄調査2025 8月⑦
昨日と本日掘っていた場所には、ご遺骨も出土品もほとんど見つからない場所がありました。土砂を見てみると、おそらく何もみつからないと予想されましたが、掘ってみないと断定できないため、壕底(=壕が造られた当時の床面)まで掘りました。
実際にやった人にしか分かりませんが、丸1日、土砂を掘り、運ぶ作業は、相当体力を消耗します。まして何も見つからな時間が長く続けば、更に疲労感が増しますが掘り続けて下さいました。
その結果、壕底に達し
「ここに遺骨が残されていなかった」
ことが分かりました。昨日今日は、土日に比べると人数が少なかったですが、作業を積み重ねることで、確実に前進することを改めて感じました。

丸2日間、この通路を掘りました

土砂が固く非常に掘りにくい

確認した土砂(=廃土)運びに丸1日従事くださった方も

常連の参加者が掘り続け壕底が確認できました

最少人数でした
2025年08月28日
沖縄調査2025 8月⑥
遺骨収容は、小さなシャベルとスコップでコツコツと掘るイメージを持つ方も多いですが、実際は、土木作業のような重労働が9割近くを占めます。
遺骨や遺留品がある地層にたどり着くには、その上に2m近く積もる土砂を動かす必要があることも。そしてその土砂を運ぶ人、土砂の場所を造る人も必要です。
今日は、土砂捨て場を造りました。この作業のリーダーは、高校生の時から参加下さっている大学1年生。彼は、他の人が休憩中でも常に作業を続けることで知られている体力の持ち主です。彼の班には体力のある人に加わってもらいましたが、休憩を何度かはさみながらでも
「午前中だけでかなり疲れました」
という声も聞かれました。
午後はメンバーを交代し、元アメリカ海兵隊員や沖縄に駐留する陸軍兵が加わりましたが、彼らでもかなりきつかったようで、作業前は余裕の表情でしたが最後は全身に疲労が表れていました。ただ、彼の班のおかげで、土砂置き場が新たにでき、参加者が多い今週末の作業がしやすくなりました。皆さんのおかげで作業が進んでいます。

土砂を掘っては、次々と運ぶ
土砂に多くの石が混じり、土も固く、非常に掘りにくい

遺留品を洗う

1942年製のアメリカのコインが見つかっています

後列右から2番目が常連の大学生。毎回、泥だらけです。
2025年08月27日
沖縄調査2025 8月27日⑤
今日は沖縄駐留のアメリカ海兵隊員80人以上がボランティアとして参加。事前に連絡を受けていた3倍ちかくの数で、この人数がいるならと、懸案だった場所の石を運んでもらったり、大きな岩を動かしてもらったりしました。
別の場所では、日本人参加者が掘っていた場所から、終了間際に日本兵の認識票が見つかりました。個人名はありませんが、部隊名が書かれていました。3日前に見つかった名前の入った筆箱のすぐそばにあり、筆箱の持ち主の手がかりになればと思います。
参加者皆さんのご協力があって成り立っていると改めて思った本日の活動でした。どうもありがとうございます。

突然の80人以上の海兵隊員の参加!

奥は天井近くまで土砂と石が堆積しています

ひとつ前の写真の場所から石の運び出し

海兵隊員がたくさん!

バケツリレーで運んでいきます

午後、沖縄県庁の援護課の職員さんも作業に参加されました

「山3475」の認識票が見つかりました。
これは第24師団歩兵第32連隊の通称号です。
この壕の地域には歩兵第32連隊の第3大隊が布陣していました。
歩兵第32連隊の徴募区は北海道。
認識票の見つかったすぐそばで、3日前に名前入の筆箱が見つかっています。
その名前を平和祈念公園で調べると北海道出身の2人が見つかりました。
持ち主を探していきます。
2025年08月26日
沖縄調査2025 8月④
今日も高校生、大学生、退役アメリカ海兵隊員、スイス在住の医者、県外参加者、地元住民、そして国会議員と、年齢や職業、国籍様々な人たちの混成チームでした。作業量が多く、いつもより体力を消耗させてしまったと、現場スタッフの私としては反省ですが、しっかり作業を進めてくださいました。初参加者もいる1日だけのチームですが、非常にチームワークが良いです。掘り上げた場所を見ると、丁寧な仕事で、皆さんが汗だらけ泥だらけになった成果が表れていました。
今回の活動が始まる前、現場総監督は「今回で掘り上げる」と言っていましたがスタッフは「できないだろう・・・」と思っていました。けれども人数が少ない日でもこれだけの作業ができるなら、もしかしたら・・・?という言葉が頭をよぎりましたが明日からまたどうなることやら・・・。国会議員含めて参加者全員ボランティアです。

土砂を掘り出す部隊

初参加の大学生もしっかり掘っていました

掘り出した土砂を確認するチームと、それを捨てる人
手分けして作業します

ヘルメットをかぶられているのでわかりにくいですが
西岡義高衆院議員(手前)も、他の参加者と一緒に土砂を掘り出したり
運んだり、確認したり・・・と全ての作業に従事されました

西岡義高衆院議員
ハードな作業が続き、背中を伸ばされていた瞬間
一日中黙々と作業され、国会議員だと分からなかった参加者もいるくらい
チームの一員として活動頂きました

2025年08月25日
沖縄調査2025 8月③
本日は20人が参加くださいました。昨日までに比べるとれば少ないですが、平日にもかかわらず十分多い方が集まって下さいました。その中には国会議員や、沖縄県議、那覇市議も。私たちの現場は、肩書関係なく、みな一緒の作業をします。汗だらけ、泥まみれになってもらうのも一緒です。皆さんのおかげで今日も作業が進みました。

高校生、大学生、元アメリカ兵、スイス在住の医者、県内在住者
県外参加者、沖縄県議会議員、那覇市議会議員、等々が一緒に作業

土砂量が多く、長身の参加者は天井に頭がぶつかるため
腰をかがめての作業が続きました。左は瑞慶覧長風 沖縄県議

「U.S. Marine Corps」(アメリカ海兵隊)と書かれた
歯ブラシが出てきたため周辺の土砂を要チェック

「U.S. Marine Corps」(アメリカ海兵隊)と書かれた歯ブラシ

「戦没者のご遺骨等の収集の加速化を図る国会議員連盟」の
三木圭恵議員もふるい作業

奥下剛光議員は発掘作業
日本陸軍の皿を見つけられました。

手榴弾等、爆発物も見つかっています

厨子甕という、骨壺のふた

「都築忠夫」と彫られた筆箱 ご遺族を探しています

遺留品が多すぎて、洗う作業も写真も間に合っていません…

瑞慶覧長風 沖縄県議と 瑞慶覧りか 那覇市議

2025年08月24日
沖縄調査2025 8月②
本日は60人以上が参加され、作業が更に進みました。
今のところ遺骨や遺留品はそれほど多く見つかっていません。参加者から「遺骨はお迎えできませんでした」という声もありましたが、遺骨が見つからないことは決して悪いことではないと考えます。遺骨が放ったらかしにされていなくてよかったです。今日の作業が次につながります。また、今日の作業ができたのは、昨日の作業があってこそで、私たちの活動は多くの参加者がいるからこそできることだと改めて感じました。

参加者が多く、入口に入るのに渋滞中

壕から出るときも渋滞

入口の大きな岩を1日中削って下さいました
(岩はもっと大きかったです)

壕内から出た石を積み上げて下さいました

大学生とアメリカ兵

大量の土砂が積もっていた場所を掘り出し
埋もれていた銃眼がきれいに出てきました

もう一つの銃眼① 土砂を外からと中からかきだしました

もう一つの銃眼② 中から土砂をかきだしています

もう一つの銃眼③ 終わる直前に穴が開きました。

戦没者のご遺骨等の収集の加速化を図る国会議員連盟が視察されました
明日以降、作業にも参加下さる予定です

2025年08月23日
沖縄調査2025 8月①
沖縄県糸満市での戦没者遺骨収容が始まりました。
調査するのは全長160mの陸軍の構築壕。文化財登録もなく、糸満市史にも載っていません。住民もほとんど知らない壕を、協力者の洞窟探索チームが今年発見し、今回の調査につながりました。
初日から50人近くが参加。県外、自衛隊の有志、アメリカ軍、大学生、地元の方々等々。土砂だけでなく、大きな岩や石も多く、いつものことながら、簡単には作業が進まないようです。皆さんの力で9日間活動を実施します。

朝の説明。人数多くて写真におさまりません。

この場所はそれほど土砂が積もっていません。
写真奥の壕の形を見ると構築壕だと分かります

ここは土砂が多くて狭い!

空援隊恒例のバケツリレー。土砂や石が多い場所です。


近所の店から大きなスイカを2つ頂きました
参加者だけでなく、様々な方のご理解のもと作業させて頂いています

(なぜか)一列に並んでスイカを頂きました
甘くてよく冷えたスイカは汗をいっぱいかいた後の何よりのごちそうでした

沖縄支部長が車を誘導
駐車場も近所のご厚意でお借りしています
2025年07月08日
サイパン慰霊祭ツアー 2025年7月③
昨日の慰霊祭に参列頂いた方々への御礼の表敬訪問の1日でした。サイパン市長や北マリアナ諸島知事から、是非、また来年も慰霊祭を営んでほしい、年に1回だけでなくもっとサイパンに来てくださいという声をお聞きしました。日本人観光客は最盛期に比べるとコロナ前から減っていましたが、今は、直行便が週3回、しかも飛行機の時間は深夜だったり早朝だったりとアクセスが非常に悪く、日本人がほとんど来ない状況です。それに加えてコロナ後には、韓国人や中国人も激減し、今回、観光客をあまり見かけませんでした。サイパンの行政府の長らが、日本人がまた戻ってくることを切望されていたのが印象的でした。
表敬訪問の合間には、日本統治時代の名残の場所を訪問。1914年からの30年間、ここに多くの日本人が住み、にぎわっていたことを改めて感じました。今はその歴史も、かつてここで戦争があり、民間人を含む多くの日本人、アメリカ人、現地住民が亡くなられたことを知る人も激減していることを感じています。これを書いているスタッフ自身も、サイパンに来るまでは全く知りませんでした。1944年7月にサイパンが陥落、その後テニアンも米軍に占領され、この場所からB29が日本本土に直接飛べるようになりました。日本での空襲が本格化したのがこの地であることを再認識する滞在でした。
慰霊祭は、宗教家や現地の方々、会員等、多くの皆様の協力があって毎年営むことができています。来年以降も続けて参りたいと思います。よろしければ是非ご参列下さい。

慰霊祭に参列頂いたサイパン市長を表敬訪問
サイパンで空援隊が抱えている遺骨収容に関する問題も共有しました。

北マリアナ諸島知事を表敬訪問

日本統治時代に造られた彩帆八幡神社(サイパンはちまんじんじゃ)
社殿は戦禍を逃れ
1981年にご縁のあった神主さんによってお社が再建された。
しかしその10年後に神主さんが撤退されてからは放置されて
鳥居も倒れたままの状態で、今を迎えています。
アメリカの文化財として登録されていて
誰もが迂闊に手を出せない状況になっているのが心苦しい状態でした。
神社の土地所有者と私たちをつないでくれた協力者と一緒に撮影
多くの協力者のおかげでサイパンでの私たちの活動も成り立っています。

彩帆香取神社
滞在中青空が見えたのは最終日のひと時でした。
2025年07月07日
サイパン慰霊祭ツアー 2025年7月②-1
空援隊が主催する日米合同神仏基慰霊祭が執り行われました。神道、仏教、キリスト教の宗教家が、サイパン戦で亡くなられた、日本人、アメリカ人、現地の人々等、国籍関係なく全ての犠牲者を追悼しました。
慰霊祭の会場は、サイパンで最後の総攻撃(いわゆるバンザイ突撃)が行われた場所。その戦いで、日本兵4300人以上、アメリカ兵400人以上が戦死したと言われています(米軍記録より)。81年前にその戦闘が行われた日が、今日7月7日です。
バンザイ突撃の後、米軍は、その場所に日本兵の死体を埋めました。それが「集団埋葬地」と呼ばれる場所です。空援隊は2011年にその「集団埋葬地」を発見し、厚労省と共に2年間で、約800体の遺骨を収容しました。多くの日本人が埋められていた場所で、毎年7月7日に行っているのがこの慰霊祭です。
昨年から加わって下さった地元のカソリック教会、マウント・カーメル教会の司教だけでなく、今年は他の教会からも司祭ら4人が加わってくださいました。「キリスト教の皆さんがサイパン戦の犠牲者を一緒に追悼しようという思いが年々強く感じられます」と日本の宗教家の先生方から感想が聞かれました。
サイパン市長や地元協力者ら、また、会員を含めて日本からこの日のために参列下さった方々も。「是非来年も参列します」という声もお聞きしました。
予定時間になってもテントが届かない、北マリアナ諸島の知事が(知事スタッフの手違いで)お越し頂けない、また朝から雨が降り、参列者も少なめという慰霊祭でしたが、6回目の慰霊祭も、皆さんのおかげで滞りなく執り行われました。日本から駆けつけて下さった宗教家の先生方、第1回から後援頂いている国際宗教同志会の皆様、ご参列頂いた会員の皆様、日本からも思いを寄せて下さった皆様に感謝申し上げます。そして、宗教家の先生方を含めて、この慰霊祭にかかわる全ての方がボランティアであることも記載します。

第1回から欠かさず追悼下さっている村山博雅先生
(世界仏教徒青年連盟 会長
洞雲寺 住職)

マウント・カーメル教会
ロメオ・コンボカー司教(Romeo D. CONVOCAR)

英語で祝詞をあげられた三宅善信先生
(国際宗教同志会 事務局長
金光教春日丘教会長)

焼香

6ヵ月の赤ちゃんも焼香

宗教家の先生方と
サイパン市長(Ramon "RB" Jose Blas Camacho(左から3番目))

今年は雨のためテントの下で集合写真
慰霊祭の時間、サイパンの別の場所では、激しい豪雨だったそう。
一方、慰霊祭会場の雨脚はそれほど強くなく「涙雨ですかね」という声も。
雨(=戦没者でしょうか)にも見守られながらの式典でした。
サイパン慰霊祭ツアー 2025年7月②-2
慰霊祭の後、戦没者の遺骨調査も実施し、昨年、頭蓋骨2つの他、多くの遺骨を見つけた洞窟を訪れました。
サイパンでは民間団体に収容許可がおりないため、私たちは収容できません。そのため昨年遺骨を見つけた際には、地元警察に通報し、警察から地元の担当役所(HPO)にその情報が伝えられました。しかし収容されませんでした。
その後協力者が、遺骨がきちんと保存されているかを定期的に見守って下さっていました。しかし、2ヵ月前まで昨年と同様の場所にあった遺骨はなくなっていました。しかるべき手続きをとったうえで収容されたのか、疑問が残ります。遺骨を勝手に持って行く人もいると聞いています。日本の担当役所の厚労省が収容したのなら、いずれ日本に持ち帰られる可能性がありますが、たとえ遺骨が収容されたとしても情報提供者である我々に「収容したという」連絡はないため、すっきりしない思いが残ります。
日本に帰れたのか、それとも誰かが無断で持って行ってしまったのか分からない…、このような状況がサイパンでは以前から続いていることもここに記載します。

昨年頭蓋骨を見つけた洞窟に確認に行った
2025年07月06日
サイパン慰霊祭ツアー 2025年7月①
毎年7月7日に空援隊がサイパンで執り行っている、神仏基日米合同慰霊祭(第6回)のために宗教家や会員が現地に到着しました。
日本を深夜に出発し、朝到着してホテルにチェックイン。休む間もなく出発。まずはマウント・カーメル教会(The Roman Catholic Diocese of Chalan Kanoa)のロメオ・コンボカー司教(The Most Reverend Romeo D. CONVOCAR)との慰霊祭の打合せから始ました。その後、いくつかの戦跡も訪れ、81年前のこの地での戦争について触れる時間となりました。

司教との打ち合わせ、右は村山博雅先生

明朝サイパン入りの三宅善信先生は日本からオンラインでご参加


サイパンに住んでいた日本人が
米軍に追われ身を投げたバンザイクリフ

日本軍の見張り壕

シールドケーブ、ここに日本兵が生き埋めにされた
2025年6月16日
通常総会、年度報告会 開催
京都において通常総会と年度報告会を開催しました。
昨年度実施した沖縄県での戦没者遺骨の発掘調査や、調査の許認可取得の交渉のため、何度も沖縄に足を運んだこと、今後の沖縄での調査の計画等々、いつもながらざっくばらんにお話ししました。
いつもは東京での開催ですが今回は8年ぶりに京都での開催(2017年以来)。参加者の顔触れは関西の方ばかり…と思いきや、京都、大阪、兵庫に加えて、広島、愛知、東京からもご参加頂きました。

朝から梅雨空で、時折強い雨が降るなかでしたが
皆さん足を運んでくださいました
2025年5月28日
サイパン慰霊祭ツアーのご案内(2025年7月)
サイパン戦の戦没者を追悼する、神道、仏教、キリスト教合同慰霊祭を、以下の日程で執り行います。
2016年より国際宗教同志会の後援で実施してきた本慰霊祭は、日本人戦没者だけでなく、サイパン戦で亡くなった全ての犠牲者を、宗教宗派問わず追悼してきました。慰霊祭の日は、サイパン戦で最後の総攻撃、いわゆるバンザイ突撃が行われた日です。
ご参加ご希望の方は、できるだけお早めにお問い合わせ下さい。
<サイパン慰霊祭ツアー>
【期間】2025年7月5日(土)-9日(水)
※利用する空港によって異なります
【予定】慰霊祭を7月7日(月)に執り行います。
それ以外は表敬訪問等を予定しています。
【費用】1人 15万円以上
【参加条件】
○会員になって頂くことが前提です。
○戦没者への哀悼の意を体現するため、
滞在期間中次の2つのルールを守れる方
・食事を食べ残さないこと
・禁酒
【締め切り】2025年6月14日(土)
【問合せ】
(電話)075-321-4661
(e-mail)office@kuuentai.jp
2025年5月15日
沖縄 遺骨調査のご案内(2025年8月)
8月に沖縄において遺骨調査を実施します。
ご参加ご希望の方はお早目にお問合せ下さい。
航空券や宿泊先につきましては、ご自身で手配いただくか、空援隊にご連絡ください。夏休み期間にあたりますので航空券や宿泊代が高い時期です。早目の予約ですと安く上がることが多いです。ただし、曜日により大きく異なります(ご検討中の方もご一報下さい)。
<沖縄 遺骨調査(2025年8月)>
【期間】2025年8月23日(土)-31日(日)
※最短参加日数は1日(終日)以上
期間中のご都合の良い日にご参加下さい。
【場所】糸満市 ※詳細は参加者にお知らせします。
※①沖縄県外の方と②沖縄在住者とで参加条件等が異なります。
①沖縄県外から参加の方 ※ご入会をお願いします。
【参加条件】
○戦没者への哀悼の意を体現するため、
滞在期間中次の2つのルールを守れる方
・食事を食べ残さないこと
・禁酒
【締め切り】
(空援隊に手配を依頼される方)8月1日(金)
(ご自身で手配される方) 8月9日(土)
②沖縄県在住の方
【参加条件】
1日以上、終日参加可能なこと、他。
※その他については、お問い合わせ下さい。
【締め切り】2025年8月9日(土)
◎参加方法◎
空援隊にメールか電話でお問い合わせ下さい。
(電話)075-321-4661
(e-mail)office@kuuentai.jp
※メールでお問い合わせ頂いた場合、通常3日以内に返信しています。
もし3日経っても連絡がない場合は、電話でお問合わせ下さい。
また、迷惑メールフォルダーにメールが振り分けられていないかもご確認下さい。
2025年5月15日
年度報告会のお知らせ(6月・京都)
年度報告会を開催します。ご参加ご希望の方は6月12日(木)までにご連絡下さい。
◎日時:2025年6月14日(土)午後1時
※午後1時からの社員総会に続き、年度報告会を開催します。
この時間にお集まりください。
◎場所:京都市 下京いきいき活動センター(京都市下京区上之町38)
※京都駅中央口(京都タワーのある出口)から徒歩約10分
※京都駅からの行き方の詳細はこちら
◎連絡先(メール)office@kuuentai.jp
(FAX)075-321-4607
(電 話)075-321-4661
2025年5月15日
YouTubeに映像を掲載しました
沖縄県で行われた、ボランティアによる組織的な遺骨収容。
参加者はのべ300人以上、大学生や、沖縄駐留のアメリカ兵ら、国籍や年齢様々な顔ぶれ。大量のごみが捨てられた洞窟、特攻艇壕、土砂や大きな岩がある壕等を調査。多くのボランティアが参加したことで、一気に作業が進み、多くの遺骨が見つかりました。空援隊が実施する調査のレポートです。
(2025年5月掲載)
『沖縄 戦没者遺骨収容 2025 -ボランティアの組織的調査-』
※よろしければ再生後、画面下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
2025年4月2日
YouTubeに映像を掲載しました
国宝や世界文化遺産に登録されている奈良県吉野の金峯山寺が、戦後80年の今年2月、沖縄において戦没者慰霊祭を執り行いました。吉野から檜を運び、約50人の修験者が出仕し、戦没者を追悼した記録を2作品掲載しました。
ディレクターズカット版は、慰霊祭に協力した空援隊からみた慰霊祭をレポートしました。
(2025年2月)
『金峯山寺 沖縄戦終結八十年 平和祈念慰霊とも祈り採灯大護摩供』
※よろしければ再生後、画面下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
『金峯山寺 沖縄戦終結八十年 平和祈念慰霊とも祈り採灯大護摩供
ディレクターズカット版』
※よろしければ再生後、画面下の「YouTube」ボタンをクリックしてご覧下さい
2025年02月28日
沖縄調査 2025年2月⑦
おとといは今回の発掘収容活動の最終日でした。参加者が一番少ないなか、残り2つの壕の完掘を目指しました。
1つの壕では頭蓋骨が埋まっているのを発見。土が固くなかなか取り出せず、頭蓋骨を浮かび上がらせるように丁寧に土を掻き出していきました。しかし、ひびが入っていて、そのままの形で取り出すのは難しいと判断。割れた状態で拾い上げていきました。すると頭蓋骨の中から日本軍の弾丸が。この周辺を調査するきっかけが頭を日本兵に撃たれ、洞窟に埋められたアメリカ兵を探すことだったので、「もしかしたら」と一同に緊張が走りました。終了時間が迫るなか、骨片も取りこぼさないようにと周囲の土砂も集めながら収容していくと出てきたのが入れ歯。探しているアメリカ兵は若いため、一気に緊張がゆるみました。何はともあれ収容できて良かったです。そしてここで時間切れとなりました。
今回の調査で約210人が参加。9つの壕を調査し8つの壕が完掘しました。そして空援隊が2022年から沖縄で活動を始めて1番多くの遺骨が見つかった回でした。推定20~25体分と思われます。今回、多くの遺骨が見つかったのは、ここで調査を始めた昨年8月と11月の活動にもよります。前2回の調査ではほとんど遺骨が見つからず、土木作業のような作業ばかりでしたが、それがなければ、絶対に見つけることができない場所から今回遺骨を見つけられました。100袋近いごみを壕から出して、遺骨収容ではなく「ごみ収集」に丸2日従事くださった方々もいらっしゃいました。またひたすら壕から土砂を出すだけの日もありました。多くの皆さんにご参加頂いたからこそ、大変な作業でも毎回「よしやるぞ」と思えました。全ての参加者のおかげです。そして、実際に作業に参加されなくとも応援頂いている皆様にも感謝申し上げます。
遺骨は戦没者遺骨収集情報センター(糸満市摩文仁)に昨日お渡ししました。収容数について国の判断を仰ぐことになりますが、遺骨収容の担当所管である厚労省からは、何体収容したのかの報告はこれまでも一切なく、これからもないでしょうから、収容数は分かりません。おそらく厚労省に民間人への報告義務はないのでしょう。「遺骨収容は国の責務」と法律で言っていますが、国の責務をボランティアで行っている者への対応はまともとは思えません。私たちはこれからも戦没者をお迎えするために、ひたすら前を向いて活動してまいります。一緒に前を向いて活動いただける方のご参加をこれからもお待ちしています。次回の調査は、またこのページでお知らせします。
尚、最終日の一昨日、衆議院議員の奥下剛光さんが丸1日参加されました。土砂を掘ったり、その土砂から遺骨を探したりと、参加者と同じ活動に従事され、活動を通して遺骨収容の現実について触れて頂きました。

この壕では深い場所から遺骨が見つかっています。
上からご覧になっているのは奥下剛光衆院議員
昨日までにこの壕から見つかったのは↓

水筒

お釜

土砂を壕の外に出して確認。奥下議員も。

子供の指の骨も同じ場所から見つかりました

元アメリカ海兵隊員(左)に教わりながら土砂を掻き出す奥下議員

頭蓋骨が見つかりました

頭蓋骨の中から見つかった入れ歯

櫛も見つかり遺骨は民間人の可能性も

別の壕は当初古墓のようにも見えましたが
特殊艇壕(通称㋹壕)の造りかけのようにも見えるほど似通っていました。

常連の参加者でこの壕を掘り切り完掘

今回の調査で見つかった方々と一緒に集合写真
2025年2月26日
3月 東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA 上映のお知らせ
空援隊スタッフが制作した『沖縄 戦没者遺骨収容 旧海軍司令部壕』が3月に開催される東京ドキュメンタリー映画祭 in OSAKA(2025年3月8-14日)の短編部門のプログラム「“先の戦争”の現在地」にて上映されることになりました。東京ドキュメンタリー映画祭の大阪での開催は2年ぶりで、今回の映画祭は、2023年と2024年の東京ドキュメンタリー映画祭の上映作品を中心に、話題を呼んだベストセレクションとのことです。上記の作品は、昨年の東京ドキュメンタリー映画祭(2024年12月)に続き選んで頂きました。沖縄県旧海軍司令部壕において、空援隊が1年以上実施してきた遺骨収容の活動をまとめた作品です(YouTubeにも掲載中)。
開催場所は十三の「シアターセブン」です。是非スクリーンでご覧になりませんか。当日はスタッフも劇場に行く予定です。多くの方のご来場をお待ちしております。尚、大阪での集客が簡単ではないそうですので、SNSでの拡散やお知り合いにお声がけ頂けましたら幸いです。
(上映日時)
短編部門プログラム「“先の戦争”の現在地」(上映時間約90分)
2025年3月10日(月)11時分~
(場所)
「シアターセブン」 ※ビルの5階です。6階は「第七藝術劇場」
阪急「十三」駅 徒歩約5分
大阪市淀川区十三本町1丁目7-27サンポードシティ5階
(公式HP)東京ドキュメンタリー映画祭
(公式X)こちら
(公式Facebook)こちら
2025年02月25日
沖縄調査 2025年2月⑥
連休明けの本日の参加者は昨日の半分。といっても30人が参加されました。昨日終わりかけに2つの壕から多くの遺骨が見つかり今日もその続き。両方とも大きい壕ではないので終わるかと思いましたが次から次へと遺骨が。
1つの壕では、丸々1人分の遺骨と、それ以外にも別の人の骨があるようです。橈骨、大きな大腿骨等々が割れずに見つかり、三連の銀歯、金歯等もある一方で、乳児の歯も見つかっています。遺留品は、水筒、日本軍と思われるベルトのバックル、米軍の使用済みの弾、等々。もう1つの壕では、会社名(?)が刻印された戦時中の可能性のある「ねじ」、鉄製品等と共に大人の骨や乳児の歯等も見つかっています。ただ、昔の甕も見つかり、古墓の骨の可能性もまだ否定できず沖縄での遺骨収容の難しさも感じます。明日も、年代を知る手掛かりになるような原型を留めない小さな出土品もしっかり収容していきます。
両壕とも終わりが分からないくらいの量の遺骨が見つかっていて、初日は今回でこの周辺の壕を終えられると思いましたが、明日の最終日で終えられるのか全く分からなくなってきました。参加者に毎回私たちがお伝えする「掘って見なければ分からない」という言葉が改めて自分たちに返ってきています。

調査4日目にしてようやく朝に太陽が見られました。
昨日参加者に吹き付けた強い風もやみました。

1つの壕から見つかった数体分の遺骨(の一部)。乳児の歯もあります。

上記の壕から見つかった遺骨

もう1つの壕では、沖縄在住の退役アメリカ海兵隊員が
中心になって丁寧に骨を掘り出しています

上記の壕から土砂を外に出し骨を探します

もろい骨もありふるいを使うと骨が壊れる可能性があるため
土砂を広げて目を凝らします。薄くて小さな骨片も拾い上げていました。

上記の壕から見つかった遺骨の一部。まだまだ見つかっています。

上記の壕から日本軍と思われるベルトのバックルが見つかりました

腕の骨

遺骨や出土品が大量で、泥落とし等の仕事も
手伝ってもらっています

お昼過ぎに大東文化大学や名城大学の学生ら13人が帰り
最後は一気に人数が減りました。学生から「最終日までいたかった」との声も。
沖縄調査 2025年2月⑤
今日は今回一番人数の多い60人近くのボランティアが参加。その3分の1が大東文化大学、名城大学、琉球大学の大学生、その他、昨日に引き続き自衛隊有志の方々、本土からの参加者、地元の方々等々・・・。5つの壕に分かれました。連日参加されている初参加者の中には作業に慣れてきた人たちも多く、常連の参加者と一緒に一気に作業を進め、午前中に1つの壕が掘。またその他の壕からも「もうじき終わる」との報告が。
終わった後どうするか頭を悩ませながら昼食後作業を開始すると、終わりそうだと報告のあった壕から、遺骨やレールが見つかった等々次々と報告が。また、通常だったら重機等の機械を使って動かすような岩を、自衛隊の方々が動かして下さり、その下から頭蓋骨が出てきました。岩が落ちていなければ砕けずにそのままの形で残っていたかもしれません。そしてそのそばから、お米の釜や茶碗、鉄くずが。今日で終わりそうでしたが明日も続きをします。(壕の場所もばらばらで、色々見つかって撮影が追い付かず・・・)

朝、説明中。風が強くて1日中寒い!ダウンジャンパー姿の人も

屈強な自衛隊の方でも全く動かない大きな岩でしたが
諦めることなく30分以上かけて動かして下さイマシタ。
見守っていた参加者からは拍手と感嘆の声が。

岩を動かし終えた自衛隊の皆さん

午前中で終了した壕の「ふるい隊」の皆さんが
午後は遺骨や遺留品の土砂落とし

見つかった手の指をつなぎました

歯科衛生士だった参加者が上と下の歯を分けて下さいました。
色々な専門家が参加中です。

沖縄調査 2025年2月④
糸満市での戦没者遺骨収容2日目。今日も昨日に引き続き約40人が参加しました。その中には参加予定はなかったものの、昨日参加され「是非今日も行きます!」と言って下さった自衛隊有志の方々も。彼らを中心に特殊艇壕を構築時の床まで掘り下げると、格納されていたボートを運ぶためのレールの枕木を発見しました。文献では知っていましたが、80年経ってそのまま木が残っているのは非常に珍しいと思います。この壕は、水をたっぷり含み非常に重い泥が積もっている場所でしたが、パワフルな自衛隊の方々に引っ張られるように、「普段事務職で、全然体を動かしていないです」という方々も、泥だらけになって一日中掘り続けて完掘しました。
また他の壕では、粘土や土砂が堆積し固い土壌を手分けして掘りました。午前中いっぱい掘っても掘っても遺骨や遺留品が全くと言ってよいほど見つかりませんでしたが、作業終わりに使用した米軍の発煙手榴弾(スモークグレネード)の頭が入口付近から見つかりました。この周辺で調査をするきっかけが狙撃され戦死したアメリカ海兵隊員を探すことが目的なので貴重な遺留品の可能性もあります。またもう一つの別の壕では遺骨が多く見つかっていて、岩の割れ目に体を入れて遺骨の混じった土砂を掘り出したり、そしてその土砂をふるい続け、小さな骨片まで丁寧に探し出してくださったりと、活動2日目にして終わる目途が見えてきました。多くのボランティアが参加して下さるからこそできることです。明日は更に多くのボランティアが参加予定です。

開始時間前に参加者約40人全員集合!
気持ちが一丸となります

この特殊艇壕はぬかるんだ土砂が堆積し、足元がとられ作業が難航

泥まみれになってこの特殊艇壕を1日中掘り下げた結果
レールの枕木を発見 約85㎝の長さ

レールの溝もきれいに残っていました

別の場所では岩と岩の間に遺骨が流れ込んでいたため
腹ばいになって土砂を掻き出します
(ちなみに2日後に受験を控えた高校生(↑)が大活躍)

掻き出した土砂をふるいます。
常連さんが初参加者に探し方を説明

また別の壕では、遺骨や遺留品が全く出ない時間が長く続くなか
大量の土砂を掘り出し続けてくだり
米軍の発煙手榴弾(スモークグレネード)が見つかりました。

70代(沖縄在住のご遺族)と80代の参加者(東京から参加)

見つかった遺骨(一部)
まだまだありますがとにかく多くて撮影がおいつかず…

銀歯


会員のお母さまから「ホットぜんざい」の差し入れ

2025年02月22日
沖縄調査 2025年2月③
糸満市での戦没者遺骨収容初日。この場所での調査は3回目、前回から継続して調査していた壕と、そして新たに2つの特殊艇壕、通称㋹(=マルレ)壕の徹底調査を開始しました。
県内外からボランティア42人が参加くださり、初日から3つの壕が完掘。残されていた遺骨や遺留品も収容でき「これ以上ここには遺骨がない」ことを確認できました。時間に余裕があったため、新たに特殊艇壕1つと、前回も調査していた別の壕にも着手。また、更に新たな壕が見つかり、その周りからも多くの遺骨が。明日もこれらの壕を掘ります。
今日は自衛隊有志も多く参加下さり、また経験者も多く、一気に作業が進みました。初めての参加者も一丸となり、チームワークの賜物だと改めて感じます。

特殊艇壕

初参加の自衛隊有志の方々。パワフルで作業がはかどりました。

確認した土砂(=廃土)を置くため
まず、片側(=写真では並べた石の右側)を壕底(=壕構築時の床)まで掘り
そこに何もないことを確認。
そして次に、確認した土砂をその場所に置き、掘り上げたのが↓


完掘後
毎回参加下さる沖縄在住退役アメリカ兵と自衛隊有志、
そして初参加の高校生。彼らと一緒に作業をした高校生は
「皆さん作業が早くて…、土砂を1日中かいたら手がしびれました」とも。

収容した遺留品や遺骨の土を落とす

見つかった遺留品や遺骨(一部です)

頭骨や大腿骨も見つかっています(古墓の骨の可能性もあります)

新たに見つかった壕の遺骨
30分ほど掘っただけでこれだけの量が。明日も収容します。

2025年02月21日
沖縄調査 2025年2月②
金峯山寺(奈良県)による、「沖縄戦終結80年 平和祈念慰霊 とも祈り採灯大護摩供」」が沖縄県平和祈念公園において厳修されました。金峯山寺による沖縄での慰霊はこれが初。国の内外、敵味方の別なく、沖縄戦で亡くなられた方々を追悼されました。40人程の修験者の前で、五條良知管長が「いつもの大護摩の祈りでは足りない、大きな力が要ります。」と、慰霊祭の前に話されていたのが印象的でした。
空援隊はこの慰霊祭を、金峯山寺に呼びかけ、平和祈念公園から開催の快諾を得て、今回実現しました。会員や遺骨収容の仲間が、準備や片付けを手伝いました。朝から雨が降り、風が強い日でしたが、式典が始まる直前に雨が上がりました。明日からは、糸満市で発掘調査を行います。

午前中はずっと雨

慰霊祭の前に公益財団法人平和祈念財団 松川満事務局長による講話
参集された修験者の皆さんに
沖縄戦について知ってから慰霊祭に臨んでほしいと
五條管長が松川事務局長に講話を依頼されました

採火式に臨む修験者の列

五條良知管長





福山哲郎参議院議員(京都選出)も参列

会員や遺骨収容参加者が片付けを手伝い

空援隊と言えば「土のう運び」(?)です。
そして慰霊祭でも土のう…

地面を洗い流す水を運ぶ。重い!

今日は調査ではありませんでしたがやはり空援隊と言えば「土のう」でした
2025年02月20日
沖縄調査 2025年2月①
今年初めての沖縄戦没者遺骨発掘収容が、今週の土曜日から始まります。そして今回は、明日2月21日(金)に、空援隊が協力する金峯山寺による「沖縄戦終結80年 平和祈念慰霊 とも祈り採灯大護摩供」が、沖縄県平和祈念公園で執り行われます。本日はその両方の準備を、一足早く沖縄入りしている会員らと共に行いました。明日は、更に多くの会員が慰霊祭を手伝って下さる予定です。今回はいつも以上に本土から多くの会員が参加します。地元の参加者も含めて、今回も大勢のボランティアとともに活動を進めます。
慰霊祭はどなたでもご参列頂けます。13時からぜひお待ちしております。

午前中は、遺骨収容の準備。テント設営や資材を運びました。
会員だけでなく、毎回協力者も駆けつけて下さいます。

午後は慰霊祭の準備
この檜葉や檜の木は、奈良県吉野の山から船で運ばれてきました

本日手伝ってくださったのは18歳の会員2人










